他者を困らせる、自身が困っている




口にテープの指導?

小1の口にテープ貼らせる 京都の小学校で担任教諭 (京都新聞) - Yahoo!ニュース

今日はこの事件からのまとめtogetterの感想を書いてみようと思います。




まずはこの事件のについてのわたしの思いを。



口にテープなどということは「お口にチャックね^^」といったたとえで使うものであって使われてしまった児童よりも、実際に使った人間のほうがはるかに人として間違っているでしょ。

ましてや教育者、問題外の悪質さを感じます。

教育的指導と言う名の下で自分の喜びを享受いたとしか思えません。

(考えすぎですけど)



わたしも自身が発達障害者であり一人息子(現在中三)も発達障害者です。

この事件に似たような目にわたしもあってきましたし、

息子も小学二年生のときにひどい目に合いました。

その他大勢から逸脱する者がこの事件のようなあからさまなものから、巧妙なものまでさまざまな、スケープゴート的な役割を教育者から受けることは、多分よくあることだと思います。




よくあっちゃいけないことなのですが、その他大勢の児童たちを一つにまとめるにはそういった手法は現在でも形はソフトになっているかもしれませんが実際にあります。

いじめ問題と本質は同じなのではないかと感じます。





他者を困らせる、自身が困っている

困らせる=排除/困ってる=支援が必要 - Togetterまとめ



タイトルから少し物悲しげになっているのですが、発達障害児の親としてこの感覚ものすごくわかります。

困らせる=排除困っている=支援が必要の間にはいろいろな要素があるはずで、担任の悪い指導(いじめ?虐待?)=排除にはならないと信じたいです。



障害児=排除

ではないと思いたいです。



普通と呼ばれる人たちの中にもいろいろな人がいて、

排除(住み替え)したほうがわかりやすいじゃない。

と言う意見から、

うちの子の引き立て役として存在してもらわねば困る(お世話係として学校に高評価を得たい)

といったもの、

純粋にその子と友だちだから俺が守ってやる的な子

もいるでしょうし、

大人が子どもに対してひどいことをするのはよくないことという正義感から児童の味方になる子もいるはずです。



すべてがお花畑のように純粋で天使のような図はさすがのわたしも思いつきませんが、今はまだ、全員対一人と言う図は読み取りにくいと思います。



誰の迷惑もかけずに一生を終える人と言う人間はこの世に存在しないように、

発達障害児=迷惑な存在、ではないのです。



こんな風に書いてしまえるのは、我が家が発達障害一家だからかもしれません。

普通の人たちのことは想像と情報でしか補えないから、実感として分からないのです。



ただ、排除の恐怖だけは痛いほどわかります

実際に排除されて育ってきた過去が私自身にあるからです。

(それでも大人になりましたし、生きていますし、二次障害がひどくないうちは一人前に働いたり好きなこともやれました)



特別支援教育とは何ぞや?

togetterにも話は出てきていますが、特別支援教育。

普通級ではなくて、特別支援級のお話。

他の地方のことはわかりませんが、息子が経験したことを追いかけていくと、小学校から特別支援級のいわゆる知的には通常かそれ以上の子のための支援級がある学校は少ないと思います。

この10年でかなりの数は増えましたが、まだまだ全校にいきわたるまでではないでしょう。全国的にはどうなんでしょうね?



つまり現状として行き場のない発達障害児が存在すると言うこと

そしてどこへ進学するかもその子その子にあわせたところでと言う問題はついて回る。

知的な面での特別支援級に入ったとしても、また別の問題も生じるでしょう。

だから、特別支援教育というものはどのクラス(普通級でも支援級であろうと)でもいろいろんな子にあわせて教育をするためのものであるはずなのです。



これは我が家の話しになるのですが、小学校6年間は普通級に通いながら、通級指導教室と言うところにも高学年から通い始めました。

学校に知的に普通以上の子のための支援級がない児童のためのものです。


もう何度もこちらのブログには書いてきましたが、
息子は小学二年生のときに受けた心の傷(脳の傷かもしれませんね)からなかなか立ち直ることが出来ず、不登校、半不登校(週に一度か二度通える)で小学校を卒業しました。

知的に普通と言えど、あくまでも普通レベルなので勉強が苦手でした。苦手を通り越してトラウマ状態でしたね。当然授業についていけません。



進学する予定の中学にも何度も足を運び、いろいろと考えていたところで、その進学する中学に新規に知的に遅れのない子のための特別支援級が新設されることになったのです。それに飛びついたわけですが、結果二年間これまた棒に振った感じになってしまいました。

その理由は配属された担任が知的に重い子のための指導を長年やってきたベテランの方だったと言うこと、知的に普通の子のASD児の教育を全く理解していなかったことが原因です。

その子その子にあわせた教育どころか、今まで普通級で養ってきたものまで吹き飛ばすくらいの勢いで、昔の障害児教育をされてしまったのです。

働く大人になるために、

みんなに迷惑をかけない大人になるために、

みんなに好かれるために、

といった教育です。

それも強制的に



これには息子も怒りまして、今まで隠れていた自我が目覚めたと言う副作用もありましたが、残念な二年間でした。

親のわたしも必死で学校の管理職と話し合いやお願いを重ね、

今年度は若い新しい教育を受けた担任となり、息子も楽しく学校に通っています。

形としては半分以上の教科を普通級に通って受け、残りを支援級で苦手な教科を補ってもらっています。

息子には理想的な形となりました。



普通級に半分以上の時間を過ごしているわけですが、誰もお荷物扱いをするわけでもなく、お世話係がいるわけでもなく(保育園のときから近所の友人がポイントを伝達してくれてますけど)学校行事にも普通級で参加し、実際に年を追うごとにたくましくなってきています。



障害児のためだけじゃない特別支援教育

普通の子供たちはもちろんのこと、障害児たちにもそれぞれがあります、その子その子によって同じ障害でも現れる形は異なります。

そういった子どもたちに柔軟に対応するための特別支援教育。

何が不足しているのか

何が問題なのか

義務教育が終了する今年、

この問題について気がついたことはどんどん書いていこうと思っています。


特別支援教育 - 多様なニーズへの挑戦 (中公新書) -
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特別支援学校学習指導要領解説 総則等編(幼稚部・小学部・中学部) -
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最後まで読んでくださってありがとう。
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