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2010年05月21日

お母さん、たすけて〜〜〜〜




心療内科の記録も書かないと・・・と思いつつ、今日も別のお話。
(少しイタイお話になっちゃいましたので・・・読んでくださるのならご注意下さいませ)






一昨昨日凹んでいた時に気が付いた事がありまして、それは自分がパニックになったときのこと。

自分が自分でパニックになっているとは、なかなか気がつかないもので・・・

はっと気づかされる文章を読みまして・・・

気づいちゃったんですよ。


自分のパニックの時、どうしていたかを・・・

生きていく上でどうしようもない壁にぶつかる事って、まあありますよね。
そういう時とか・・・

予想外の事が起きて、自分の頭を整理できないときとか・・・

悲しいことが一気に押し寄せて自分で自分の感情が分からなくなった時とか・・・


私ね。良く叫んでいたんですよ〜〜



「お母さん、たすけて〜〜〜〜〜」


って。


私にはお母さんと読んでいる人はいません。
実母には名前で、継母には、「おばさん」という父から言われた呼び名で呼んでいましたから。


「お母さん助けて〜〜〜」


と叫ぶ事により、自分のパニックが収まるんですよ。

それを思い出したんです。

「何叫んでるんだ私・・・」と冷静になれる。
そして起こった事柄に冷静に対処できる。

きっと、ずっと長い間そうやって生きてきたんだと思っています。


ちびぼんが生まれてからは、このバカバカしい叫びは、あまりしなくなりました。

リアルな生活が一転したからだと思います。

その時その時を生きるのが精一杯だったというのもあります。


叫んだって無駄だと理解したからかもしれません。

「助けて、お母さん!」

これ、私の中のファンタジーだったんだと思います。

現実にはないものを得たかったんでしょう。
困った時にそっと手を差し伸べてくれる人を欲していたんでしょう。


ようやく気がつきました。


どこかで、王子様を夢見るように・・・
頭の中で、私を助けてくれる人を探していたんでしょうね。


小学校に上がる前から父親は不在でしたから、実母としては、世間体をとても気にする人でしたから、「浮気をされた女」として、プライドががたがただったんだと思います。
そして、「離婚された女」となり・・・
彼女の宇宙人人生は果てしなく広がっていきましたね〜〜〜


子どものころから私は、眉間に皺を寄せた、三白眼のとても嫌な顔つきをしていましたから。

愛想もほとんどないし(強制的にさせられたものは別として)口をへの字にして黙っている。
泣く事も無い、謝る事も無い、多分相当の育てにくさを持った子どもだったと思います。

絶対に母親の思い通りになるもんかと、頑なに思っていましたから・・・。
いずれにしても、誰一人信用していなかったし、愛してもいなかった。

殴る蹴るの肉体的虐待は、実はそんなに辛くなかった。
痛かったんだろうけど、記憶にないから。

いまだに蘇るのは、「声」

私に正座をさせて、延々と父親のいない子は、みんなにバカにされるとか、世間に恥ずかしいとかいい所にお嫁にいけないとか・・・
そんな話を聞かされて、私がそれに耐えられなくなって、泣き出すまで続けられた。

夜は夜で、私の枕もとに座り、私が寝付いたころを見はかり、色々な質問をしてくる。

それは父親との面会が合った日。
面会の日は、父はいつも再婚相手(浮気相手)である現在の継母を連れてきていました。

その浮気相手が、いっしょに会っていると母に知られたら・・・
父親との面会も妨害されるだろうと分かっていたので、睡眠に入る前、あるいわ睡眠中でも、私は嘘を突き通しました。

さんざん聞いて満足した母は、私を解放してくれましたが・・・・


儀式でしたね。


バカな事に、私は父親が大好きだったから。

自分を捨てた、子を捨てた父親なのにね。




これが私の年長から、小学生2年生くらいの記憶。

私がの睡眠がいつも浅いのは、眠ってしまっても気を許してはいけないという自分で作った思い込みが問題なんだと思います。


私は自分で一人でいられる場所がなかった。
自分の自由になる時間が無かった。

そんな思いが今でも蘇ります。




それにしても、どうして「助けてお母さん!」だったのか・・・

今なら少しわかる気がします。

やさしいお母さんと出会うと、心を汲んでくれる様なお母さんに出会うと、自分の中の小さな女の子が出てきて、その人に抱きつきたくなるから・・・・・


自分よりも年下だったりするんですけどね〜
なんだか笑えます。



ああ、少し整理が出来た。


NETでの出会いに感謝。
リアルでの出会いにも感謝。

こうやって少しずつ、整理をしていきます。


私は私の場所を生きる為に。



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お読みくださいましてありがとうございました。

明日は本当のお休みです。
すごくしあわせ〜〜〜
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posted by はるぼん at 22:09 | Comment(5) | TrackBack(0) | はるぼんの生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月21日

自分の今につながる過去と対峙したい。




自分自身の過去を思い出そうとしても、どうしてもこじ開けられない・・・
どうしても開けることができない過去が存在する。

今まで通っていた、心療内科、お茶目先生(精神科医)まる子先生(臨床心理士)にこの話をしても、閉じられている記憶はそのままにしておいたほうがいいと、きつく言われた。
(きつくと感じたのは私であって、そんなにきつく言われたわけではないかもしれない)

実際に、カテゴリーを作ってまで「生育暦」を書こうと決心するまでにはいたったのだか・・・
どうしても書けない。

視覚優先型ではないはずなのに、ある絵が出てくるとそこから先には進めなくなるのである。
単なるビビリなのかも知れない。

それでも、1年と半年近く心療内科に通ったことで少しずつは扉からもれてくるものもあった。

今現在に通じる、リアルな問題としてどうしても避けて通れないものだけは、上手に重要な部分を隠しながら記憶の登ってくる。
なんというか、一番の部分を迂回して、現れた感じ・・・

だから、そんなには苦痛もないし、恐ろしいほどのフラッシュバックを起こすほどでもない。


今思っていることは・・・

やはり頑固な私の性分。
この扉を無理やりにでもこじ開けて、すっきりしたいという欲望というかなんというか・・・
そんな衝動に駆られている。

それをやってしまったら、現実の世界に支障が出るだろうことも、理解している。
ある面自分の強さに自信過剰なところがあるのかもしれない。
(こんなにもチキンなくせに・・・)

子供時代は地獄だったとはいわない。
一般家庭から見たら、天国のような暮らしもあった。
かと思ったら、底辺の暮らしもあった。
わけわからん。

そのときの自分の映像が全部きりがかかっていて、見えないのである。

部分だけははっきり浮かぶ、ただそれだけ・・・


主治医だったお茶目先生に、自分の意思で行ったこと。
3才そこらの子供が自殺行為をするかどうかは???なのだけど、

私は、うつぶせ寝で寝かされることが多く、(あるいは、自分が好きでうつぶせに寝たのかもしれないが・・・)
枕で、窒息するのが好きだった。
脳に酸素がいかなくなって、目の前が真っ暗になりそして、きれいな星がたくさん見えてくる・・・
その美しさといったら・・・・・

ああ、私の生い立ちの記事にこのことを書いていました。

完璧に記憶にあるのは、2歳から3才の頃・・・
一人で昼間寝ていたとき(もしかしたらもう少し小さな頃かもしれませんね)
うつ伏せで寝ていて・・・
息が出来なくなったのです。
すごい苦しいのですが、眼の前に星が散らばり、なんとも気持ちよい感覚が襲ってきました。

あれ?もしかして、私死んじゃうのかな?とはっきりと感じたのを覚えています。

そしたら恐くなって、腕の力を振り絞って・・・体の位置を変えたのを覚えています。

この事はだれも気が付いていません。

実はしばらくな間、これが癖になって・・・
死にたかったとか、辛かったとか・・・では決してないと思いたいのですが、何度も何度も、うつ伏せで眼の前の星を眺め・・・ぎりぎりのところで寝返りをうつ・・・と言う事を続けていました。

ある日、ぎりぎりまで我慢できなくなって、星が見えるようになるまで我慢できずに、寝返りをうってしまうようになりました。
私の意に反して・・・
身体は確実に成長していたようです。

*過去記事「はるぼんの生い立ち。はじめにと0歳から3歳まで」(2009年09月19日)より抜粋



私はあのまま空気がすえなくて死んでしまっても、平気だったかもしれません。。。

お茶目先生にこの話をしました。

この話で、私の発達障害に?が現れました。
生来のものではなくて、虐待が元で(あるいは自分自身でという事故で)脳に傷を残した可能性もある。。。

杉山先生が訴えられている、第四の発達障害・・・虐待児・・・

この図式も、このエピソードだけじゃなくてたくさんありますから。
(重要なことは記憶がよみがえらないし・・・)

過去って何なんでしょうね・・・。

ずっとふたをしてこのまま生きていていいんでしょうか?
一つ一つと対峙して、自分を見つめて生きたい・・・

ものすごく切望しています。


4月になったら、新しい病院に転院です。
どんな先生なのか・・・
どういう方針なのか・・・
わからないことだらけで不安なのですが、

今現在の困りごとの裏側にはこういったかこのことがびっしりとつたのように絡まって体中ががちがちになっているんだと私は思うんです。

だから・・・
過去のことをふたを開けながら、現在の問題にも取り組んで生きたいと、いってみようかな?と思っています。

ちびぼんの成長を見ていると、実に美しく成長していると感じるのです。
地雷は山ほどあるんですが、それをきちんと前向きに処理していってる。

親である私は・・・
地雷を深く埋めたまま・・・いつ爆発するか、恐れながら生きている。

これ、、自分に子に対して嫉妬感もあるかもしれませんね。

100歳まで生きるつもりだから、何とか死ぬまでには、今まで生きてきた地雷とも対峙できると思うんです。

死ぬときは、すっきりして死にたいな・・・
できれば120か140まで生きて、仙人のような暮らしがしたい〜〜

なんて馬鹿なことを思っていますが、そこそこ本気です。


ただ・・・

ひとつ虐待児でよかったことは。
私が学校で暴れたりするのを避けるため、私学の中学に入れてもらえたことかな?
中学からエスカレーター式・・・
楽でしたね。
好き勝手にできました。
学校の規則さえ守っていれば、大丈夫でしたから・・・
いろんな考えの子供が世の中にはたくさんいるんだと知ったのもこの学校のおかげです。

この部分は親に感謝せねばと思っています。


新しい主治医に期待をしすぎると、ドクターショッピングになりかねませんから、じっくりとじっくりと、話を進めていきたいと思っています。

ここまできたんだからあせってもね。


もう一つ、お茶目先生のお世話になって自覚したことがあります。
それは、安心や信頼をもてない人からの、言葉は私が好ましく思う思わないにかかわらず、全身で拒否反応が出てしまうこと。

これは発達障害児に顕著に現れることだと思いますがいかがでしょう。
大人になってまで、ここまで頑固だと生きづらいですが・・・
子どものうちに、ある程度は慣らしておいたほうがいいような気もします。
難しいですけどね。
自分に関係ないことは、意地を張らない。程度でいいような気もしますが・・・。

そのせいか、私は人に何かを告げるときはその人が求めてこない限り何も言いません。
何かの言葉がその人に大きな負担になることを私は知っているからです。
(こういう思いの方多いんじゃないでしょうか・・・?どうだろう・・・)


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今日のお休み・・・
ちびぼんは、大好きなT君と二人で4年生最後の冒険に出かけました!
二人きりで映画に出かけたのです。
今のところ困った電話はかかってきません。
きっと楽しく見てくることができると思います。

かわいいことに二人で選んだ映画は「ドラえもん」♪

子どもの素敵な時間ゴールデンタイムを思う存分楽しんでほしいと思います。


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posted by はるぼん at 12:41 | Comment(2) | TrackBack(0) | はるぼんの生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月06日

それでも楽しかった小学一年生時代




今日は少しはるぼんの生い立ちを書きます。

時系列で書いていくつもりでしたが、どうにも苦しい部分は、書こうにも書けないと言うことに気がつきまして(やっとかい〜〜〜!)時系列を無視して、書くことに決めました。

今日書くのは、時期的にもちょうどいいかも・・・
と、小学校一年生・・・入学式からの思い出をつづっていきます。



*******************************


7才。春・・・
私は、保育園の隣にある小学校へ入学しました。
園児のころは、小学生は大人だと勘違いをするくらい、大きく別の存在のように感じていましたが、いざ自分が入学してみたら、ただの子供でした。

入学式・・・
このころには我が家は家庭崩壊状態で、父親はほとんど家に帰ってきませんでした。
ただ、こういった娘の晴れ姿・・・には見に来てくれていたような覚えがあります・・・(すぐにいなくなってしまったので、明確な記憶ではありません)

母親のお気に入り・・・きれいなビロードのワンピース確か赤だったと思いますを着せられて、出かけました。
桜の花も咲いていたと記憶しています。
ピンクがとてもきれいでした。

保育園から見て小学校というのは先に書いたように別世界だったので、自分の想像以上・・・?というか、現実派わくわくするところでも、夢のようなところでもありませんでした。

そんなに変わらない・・・。

そう思った記憶があります。

入学式では、とにかくあわただしくて、大人の指示だけに従わねばならない・・・
一番いやだったのは、どうしてこんな汚いざら板の上を靴下で歩かないといけないの?
ということでした。
心の中でびっくりしてものすごく躊躇した覚えがあります。

入学の式・・・も・・・
教室に移ってからの担任の先生のお話も・・・
ぜんぜん覚えていません。

ただ回りの子供たちが、ああ、知っている子がいっぱいいるな〜〜^と思ったこと。
それだけでした。

小さな木のいすは、硬くていやでしたし・・・
保育園で乱暴ものだった男の子が一緒のクラスになっていました。


まあ、多分4月は、そんな感じで毎日ぼ〜〜〜〜っとしてすごしていたんだと思います。

担任の先生は・・・
(ものすごいことにこの先生のフルネーム覚えているんですよ、後にも先にも担任の名前を覚えているのはこの先生だけです)
S先生。ベテランの女の先生でした。

厳しいけれど、やさしい面のある先生だったと思います。
きっと、経験の中から、ちょっと変わった子供たちを指導してきたことがあるのでしょう。

4月を過ぎるとさすがに一年生たちもきちんとしてくる・・・
これは昔も同じこと。

でも私は自分のペースを崩しませんでした。

勉強は嫌いではなかったようですが・・・
先生の話はこれっぽっちも聞いていませんでした。
教科書を見ながら、想像の世界に翼を広げていました。

一緒に声を出して音読なんて、やったことがない。。。

それから・・・

前にもこのblogに書いたことがあるのですが・・・
時間割というものが、根本的にわかっていなかったのですね〜〜

チャイムが鳴ったら次の授業・・・

この規則がぜんぜん頭に入っていませんでした。
というか、そんな規則があることにも気がつきませんでした。

後にも先にも・・・
記憶に鮮明に残っているのは・・・

図工の時間。
2時間使って(たぶん)お絵かきだったと思うのです。

私は小さなころから、絵を書くのが大好きで、描き始めたら納得がいくまで書かないときがすまないタイプ・・・
家ではもちろん。保育園などでも、絵の途中で無理やり終わらせる。
なんてことは経験してなかった・・・(と自分では思っているだけで保育園ではあったかもしれませんね〜〜〜〜〜^^)

私は自分の絵が書き終わるまで、休憩時間も無視して、その次の国語の時間まで、しっかりとずっと(過集中状態?)で、絵を書き上げました!

絵を書いている間は、周りのことなどまったく見えませんから、どれくらいの人が私に、注意をしたか?記憶にありませんでしたが、邪魔が入るたびに、相当噛み付いた(比喩ですよ比喩実際には噛み付かなかったと思います)と思います。

気がついたら、クラス中、隣の席の子まで、誰一人絵を書いている人はいません。
みんな国語の教科書とノートを出して、黒板のほうを見ています。

あのときの場面の急激の変化・・・
怖かったです。
ですが、自分の書き上げた絵を見ほれながら、また少し空想の世界へ・・・・・

そこへ担任のS先生が、気がついてくださって、私を空想の世界から、国語の世界へ(?)いざなってくださいました。
確かちゃんとほめてくれたような気がします。

恐怖の世界から逃れようと空想に入り・・・それをまた怖くない国語の世界に上手に連れ戻してくれた先生。。。
この先生のことは、やっぱりいつの間にか大好きになっていました。

この経験で時間割というものが少しずつ身についてきて・・・
学校にいる間は、過集中や、いつまでも空想の世界に入り浸ることはなくなったように思います。


さて、こんな勝手な私。。。
多分お当番などもやった覚えがないのです・・・
お掃除はやっていた記憶があるのですがね・・・

まあ、いじめにいじめられるほうは責任ないといいますけど・・・

私、思いっきりいじめの対象になっていました。


はじめのうちは自分のものを隠される・・・
上履きや靴ですね?
私、どっちかがなくなっても、ぜんぜん平気、先生に指摘されるまで、はだしでも平気でしたし、上履きで家に帰っても平気でした。

ノートや鉛筆消しゴム・・・
消しゴムなど毎日なくなっていまして、(これは隠されたというよりも自分でなくしたほうが多かったと思います)毎日母親にお金をもらって新品の消しゴムを買っていました。
(このあたりもちょっと問題ありですよね)
だから、ぜんぜん心に堪えてなかったのです。

私がまったく平気というか泣いたり騒いだりしないものですから、やられることがどんどんエスカレートしていきまして、教科書やドリルなども隠され、どぶから発見されたりするようになりました。
どぶから発見されたら・・・
さすがに私が訴えなくても先生方は気がついたようで・・・
母は呼び出されていたようです。
当の私はへでもない。

まあ、この先・・・バケツで頭を殴られたり・・・
頭から水をかぶせられたり・・・
ほうきで体が吹っ飛ぶくらい殴られたりしたのですが・・・

いじめていた子は憎らしかったでしょうね〜?
平気だったのです。
まるでロボットのような感じ?
そうやっていじめてくる子の存在をまったく無視して、自分の世界に入り込んでいましたから・・・。

当然仲良しのお友達はいませんでしたし、ほしいとも思いませんでした。
ただ近所の男の子二人だけは、下校の規則で一緒に帰らなくては行けなくて、ちょっとは仲良しでした。
一緒にかけっこして帰るのは好きでしたね。
なかなかやさしい男の子だったと思います。



家に帰ったら・・・
母親という地獄が私には待っていましたから。。。
殴るける。
という力技での暴行は、いくらがたいのいい男の子でも、大人のおばさんにはかないませんよ。
毎日そっちで暴行受けている私は、学校でのいじめなんてへの河童だったんですね。

このころには妹も4歳・・・
長いまっすぐな髪を、毎日母親にきれいに結んでもらって・・・
(私の髪は、くせっけで髪をとかしてもらうこと=すごい痛み)
方や、ぼさっと、一くくりにしただけの髪の毛・・・

このころ覚えているのは、母親が、妹のことを異常にかわいがっていたこと。
私のことを「あんたは悪い子」といつも言っていたこと。

なかなか、わかりやすい育ち方をしているでしょ?

まあ親にしてみたら、口答えはするし、命令してもいうこと聞かないし、殴ってやっとしぶしぶいうことを聞くという感じでしたからね〜〜
母の気持ちもわからないでもない。
自分がすべての人でしたから・・・・

自己肯定感のひとつもない子・・・
によくならなかったと思います。

それだけずうずうしい気質を持っていたのか?自意識過剰だったのか?よくわかりませんけど・・・

私は誰にもほめてもらえなくても、なぜか悲しくなかったのです。
夢の中では何でも自分の思い通りになって楽しい世界が待っていたし、空想の世界でも、いろいろなお話を作っては、その世界のお友達と楽しく遊んでいましたから・・・。

はじめっから私は一人ぼっち・・・
そう思い込んでいたのですね。

そうして、時々会える父親の存在が、私の安全基地だったのかもしれません。
父は人をほめるのがとても上手な人で、私がどれだけ早口で自分のしゃべりたいことをまくし立てようが、「はるぼんは頭の回転が速いな〜〜」とほめてくれたし・・・
私の大好きな本をいつも買ってくれたし・・・
(本もお友達でしたね)
母親が与えてくれる本は、読みたくもない、伝記の本とか・・・それこそ、絵の美しくない本ばかりで・・・・


それでも、まだ一年生のころは私にとって空想のお友達や夢の世界が私を助けてくれたから・・・・
まだ大丈夫でした。

というか、本当に平気でした。

私をいじめていた子達も、大人から指導もあったのでしょうか?
私の反応が薄いからでしょうか?
具体的ないじめではなくなりました。
口を利かないとか、無視をするとかいったいじめに変わったのかな?
そのあたり、ぜんぜん覚えていないです。


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はるぼんの生い立ち・・・
まあぼちぼち書いていきます。
夢のコントロールの話から、そういえばあのころは夢が友達だったことを思い出しまして・・・
私の中の良き記憶・・・の、時代でした。

最後までお読みくださってありがとうございました。

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posted by はるぼん at 18:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | はるぼんの生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

はるぼんの生い立ち。はじめにと0歳から3歳まで




色々考えたのですが・・・

自分の生い立ち、生育歴を見つめてみたい。。。
そう考えるようになったのは、やはりPDDの診断を受けてから。。。

ドクターとの話、心理士の先生との話で、過去の事は順を追って、今にリンクしている事柄だけを話していきましょう。。。

と言われているのですが・・・

考えたいこだわり、がどうしても抜けません。
夢になって出てくることが多いのです。

さいわい、日中のフラッシュバックに悩まされるほどではありませんが、私の脳が、見つめなおせと命令しているような気がするんです。

やっぱり書くか〜〜〜

と思いまして・・・

別ブログを作って書くか、このままこのブログに書くかも迷いましたが・・・

このままこのブログで生い立ちを書いていくことにしました。

何故か・・・
自分のためだけに書くなら、テキストファイルにして自分のパソコンに入れておけば良い話。
それをわざわざwebに乗せるということは、サイドバーにもはってありますが、「オレンジリボン」児童虐待。
私の大きな地雷。「虐待」についての一つの事例として、読んでくださる方がいたらうれしい・・・・
と言う気持ちがあるからです。

発達障害と虐待・・・

虐待の連鎖・・・
この連鎖は気づいたものから切っていかなければならない。

その思いもあります。

ましてや発達障害児の子育て・・・
ほんの些細な事でも、子どもは覚えています。子どもの心に刻まれてしまいます。
この恐怖を少しでも、子育て中のお母さんにお話したい・・・

この思いもあります。
(この問題はとても重たくて、子育てだけで疲れ果てているお母さんには酷すぎるかもしれません)

と、今は書いていますが・・・
自分でも重さにへこたれて、途中放棄も十分ありえます。

自分の心と相談しながら書いていくつもりです。

亀の歩みになるんじゃないかと・・・・・


ひと月に一度くらいの連載記事として考えていただけるとうれしいです。

私にとってはノンフィクションですが、読むのが辛い場合脳内変換してフィクションだと思っていただいても全然構いません。

な〜〜んて、虐待小説に出てくるような、とんでもない生い立ちではありませんのでご安心を・・・

ポイントは、普通だったら水に流せる事がいつまでたっても流せない。
忘れられない、苦しさ・・・・
と言う所です。

息子、ちびぼんが、やっと、何となく過去のことに縛られるよりも先の事を考えた方が楽しい!
と気づき始めたときにこういう過去にこだわる記事を書くのも変ですけど・・・・
一度整理をしないと・・・
過去をごまかしている自分が許せないのです。

私も、未来に向けて楽しく生きたいですから。



こういう内容に、拒否反応がある方、フラッシュバックの恐れのある方は・・・
どうかスルーして下さい。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





0歳から3歳まで・・・
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posted by はるぼん at 21:30 | Comment(3) | TrackBack(1) | はるぼんの生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする