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2016年01月25日

発達障害と不登校〜まとめ記事

不登校を振り返って




不登校が始まったのが小学二年生の二学期のこと。
もう9年も前のお話です。

なんとか形だけでも、毎日登校できるようになったのは去年、中三のころのお話。
それは高校進学のためという目標があったから出来たこと。

現在、自分の好きなことが学べる学校ということで、不登校気味ではありますがなんとか通っています。

今回は、過去の記事を時間軸にそってまとめていきたいと思います。


不登校がはじまったころの記事



 
☆ ぼん君はこんなに明るくて素直な子どもです! 2007年09月17日


9年前の記事ですね。あのころは息子はもちろんボロボロ状態でしたが、親もあとちょっと亀裂が入ればバラバラに崩れ落ちる寸前だったと思います。
担任ひとつで大きく道を分けた小学二年生時代。
子どもの未来、特に発達障害の子の未来は担任一つで大きく変化することをかみ締めたときでした。
そして、それがあったからこそ息子の障害にはっきりと目を向けることが出来たのも事実だったと思います。

☆学校へ行かないという生き方・・・不登校への道のり22008年01月13日


二年生の二学期から完全に登校をストップしていました。それでも家だけを居場所にするのではなくどこか他の場所も作るために、息子の様子を見つめながら、本人に確認しながら(今思うとその頃は本人の意思がほとんど消えていて、親の思いのままうなづいていただけだったかもしれません)増やしていきました。結果として、長い目で見てこのことはよかったとおもっています。
学校との対応では、担任に直接から管理職とだけ対話をするという形となり、親も一息つけていました。
学校へ行かなくてもいいという時間、日々は、息子にどんな影響を与えたのかはわかりませんが、「がまんを限界までする」「嫌なことを嫌といえない」という性質が変化したのは確かです。
この時間で彼はゆっくりと自分の好きなものを見つけその世界を広げていきました。


  ☆不登校への道のり・・・その終点?2008年04月08日


翌年、新しい担任、新しいクラスメイト。息子の心も少しずつ学校に向かいはじめました。
3年生から受け持っていただいた担任の先生には4年生も受け持っていただき、安定した半不登校生活がおくれました。
いま思ってもとてもすばらしい先生でした。息子の他にも発達障害(たぶんADHD)の子もいて、脱走はお手の物でしたし、しゃべりだすと止まらないマシンガントークの持ち主でしたし、よくぞ、あんなにすばらしいクラス運営ができていたと感心せずにいられません。
息子にとって忘れられない最高の先生でした。


☆不登校のはじまり・・・今だから白状できる事2009年11月13日
☆不登校のはじまり・・・今だから白状できる事22009年11月14日


この二つの記事はその落ち着いた小学校4年生の頃に書いたものです。
親の心も落ち着いてきたのでやっと振り返ることが出来たという感じです。


不登校回復期の記事



小学3年生に受け持ってもらった担任の先生と学校全体のあたたかい見守りのおかげで、息子は少しずつ回復していきました。
ただ、親が思っているように早いスピードで回復したのではありません。ゆっくりゆっくり本の少しずつの回復でした。
その中で将来への不安や、発達障害の二次障害の恐ろしさや、子どもの心が壊れてしまうという事実を見つめなおすよい時間ではあったと思います。
親一人で奮闘するのではなく、どんどん味方を作る、頼れるものはどんどん頼る。遠くの親戚よりも近くの他人。こういったことも心底学びました。
特別支援教育というシステムのおかげで、息子はたくさんの方からたくさんの力をいただきました。
そういったことをぼちぼち書いています。


☆不登校までの流れと、不登校回復期まで・・・2009年07月09日
☆医療と教育と家庭・・・タッグを組む!2009年10月29日



親も息子もほどほどに安定した生活を送っていた時期です。
いろいろな支援を受け、精神的にも肉体的にもいい感じではありましたが、のちにわかったことですが、やはり発達障害の二次障害は簡単なものではありませんでした。



☆二次障害が出ている時には、発達検査は受けるべきではない!2008年11月04日
☆40近く下がりました〜WISC-V2009年01月08日


表面に現れる二次障害はまだわかりやすかった。
二次障害で知的に下がるということはとても恐ろしいこと。(記事ではわりとのん気に書いていますが)
上のリンクで紹介した記事のあとに受けたWISCでも息子はなかなかもとの数値には戻りませんでした。それどころかさらに下がって精神遅滞域までいってしまったのです。
まあ数値上のことで、息子自身はゆっくり成長してはいたのですがそれが年齢に見合う成長ではなかったという現実。
その後ある程度(通常域)まで戻りはしたものの、二次障害になる前の数値にはいたっていません。
二次障害で脳に何等かなダメージをおってしまったのは確かなこと。
当時主治医だったドクターも一度傷ついたら元には戻らないかもしれないと、親の私に覚悟を促していました。

こういう事例があるからこそ、医療面で二次障害の予防を声高に訴えるのは当然のことと思います。
二次障害だけは安易にとらえていいものではありません。
しっかりと予防しつつ、発達障害の子らをちゃんと導いていく体制が必要なのだと強く思います。


小学校高学年から中学校へ



高学年になる前に、ふとしたことがきっかけで本人告知をすることになりました。


☆本人告知?アスペルガー症候群について・・・2009年07月24日
☆ちびぼん。主治医からの告知(お話)2009年07月30日


自分から気がつく。
いま思えば、理想的な形での告知だったと思います。ラッキーでした。



☆選択肢が広がるよろこび(通級教室)2010年11月27日
☆学校との信頼関係〜上手なかかわり方2010年06月09日
☆不登校児の夏休み2011年07月09日


高学年になって、学校からの支援も安心できるものとなり、発達障害の情報を学校からいただくことも増えてきました。勉強会や講演会なども学校から参加させていただくこともありました。
わたしの余裕も出てきたことから、PTAにも参加させていただいたり、親子で学校に通うという図式ができてきました。
障害に関しても、精神障害者保険福祉手帳を取得しました。(療育手帳はIQの関係でおりない自治体なので)、放課後児童ディや移動支援をお願いできる段取りも整えていきました。(結局児童ディは使いませんでしたが)
中学進学についても、小学校から中学校へしっかりと受け渡しをしていただき、早い時期に中学校へ面談に行くことも出来ました。そして、発達障害・情緒の特別支援級の新設となりました。

実はその支援級で、またひと山あったのですが、小学校でさんざ鍛えてきた親子ですので、大きな山ではあったのですが、無事通り越すことが出来ました。これも中学校の管理職と早め早めに繋がることが出来たからだと思っています。

長くなってしまいましたが、小学校時代、5年間の不登校をざっとまとめてみました。
中学も入れると8年間なのですけどね。
ほんと長い長い不登校でした。
いまも、普通に通えているとはいえない状態ですが、午後からとか自分の好きなことのための授業にはしっかり出ているようです。そのために通信制の高校を選んだのですからこれでいいのですけどね。



最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。
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posted by はるぼん at 19:09 | Comment(4) | TrackBack(0) | まとめ記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする