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2016年03月11日

特別支援学級からの進路〜まとめの紹介



今回はツイッターからの話題。

発達障害の子育て中の親御さんたちの会話から、特別支援学級からの進路問題について考えさせられることがらがありました。

特別支援学級に在籍していると公立の高校に受験ができない地域がある

このことは、現在公立高校に受験できるシステムがある地域の方からまずは驚きの声とともに、地域差によって子どもの将来に関る大切なことに差が出てしまうという現実にいちおうに唖然としたツイートが流れました。

それらに関してのツイートをまとめたものがこちらです。




就学前のお子さんをお持ちの方や、現在小学生で支援級に在籍している方、支援級を迷っている方など、不安と混乱を呼び込む形となりました。

地域差の問題は教育だけではなく、療育手帳の取得、特別児童手当など福祉の制度もかなりの差があります。

この地域差をどう考えるか。
これからの発達障害の啓蒙は、こういった面もふまえた上で活動して行く時期になったのかもしれません。


どの地域も数年前、数十年前は、知的な面での障害がない子どもたちにはなかなかと支援の手がありませんでした。
それでも現在は、手を伸ばせば何とか握り返してくれる制度ができてきました。

このことは、わたしたちの先輩にあたる障害児の親御さんたちが声を上げてきたことがようやく実をつけはじめたのだと強く感じます。道なき道を切り開いてくださったたくさんの親御さんにただただ感謝。

生まれた地域、育った地域で、大切な進路の道その選択肢が少なくなるようなことはあってはならないことだとわたしは思います。

能力と努力は必要不可欠ですが、学ぶことが好きな子たち、勉強が得意な子たち、芸術面でも、そういったことが得意な子たちが、大学はおろか専門学校にも行く可能性がなくなることは、あってはならない。
小学校中学校で学ぶための支援を受けるために在籍した支援級を選んだばかりに、自分の好きなことの道が塞がれてしまうなんて信じたくないです。

これは大きな差別とよんでもいいんじゃないかと思います。


わたしの意見はこのくらいにしておきます。

この問題はまだまだ考えなくてはならないことで、なかなかまとまりません。

このブログを見てくださる方々に、上にリンクしたまとめをぜひ読んでいただきたくて、記事としてアップしました。

高校進学については、いろいろな形があります。
お子さんにあった道を選んでいきたいですよね。


我が家の息子のときの過去記事を貼っておきます。よろしければご覧になってください。


ファンタジーがいっぱい!! 2015年06月12日

☆ ☆ 発達障害児の高校選び ☆ ☆




最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。
すべての子どもたちがいきいきとした人生を歩めますように。
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2016年02月12日

子どもの自立を考えるー発達障害を持つ子ども発達障害のない子ども。



自立について書いてみたいと思います。

親ならどうしても気になる子どもの自立。特に発達障害を持つ子の親はそこに焦点を合わせすぎてしまうことが多いのではと感じたからです。

また成人当事者の方々も、自立というものにこだわり縛られすぎている場合もあるかもしれません。

そのあたりを中心に重くならないようにわたしが思う自立について書いていきます。


目次
ながくなってしまったのでページ内リンクを貼っておきます
・自立ということば
・自立って何なんだろう?
・できることからはじめる自立
・さいごに


自立ということば




言葉の意味的としては

デジタル大辞泉の解説
じ‐りつ【自立】

[名](スル)他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」


大辞林 第三版の解説
じりつ【自立】

( 名 ) スル
@他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。ひとりだち。独立。 「親もとを離れて−する」
A自ら帝王の位に立つこと。 「其後−して呉王となる/中華若木詩抄」 → 自律(補説欄) ・ 独立(補説欄)

自立コトバンクより引用させていただきました


という意味なのですね。

ASDらしく字面通りに解釈してしまうと、

自立とは、経済的にもひとりで生活でき、身辺(生活面)も当然ひとりで何もかもでき、誰の助けも借りずに生きていける。


ということになります。

ちょっと考えればそんな人間どこにも存在しないことに気がつくのですが、子どものことで頭がいっぱいの親御さんや、自身の現状で精一杯の当事者としたら、この字面通りの自立に騙されてしまうと思うのです。

人として生活を営むには、どんなに孤独な人であっても誰の力も借りず一人で生きていくことは出来ないと思います。これは障害のある人だけのお話しではなく、健常者にも言えることです。
むしろ健常者のほうが、自然に人にたよって生きているのではと感じています。
まあ、中には山奥にこもって自給自足で孤独に生きている仙人みたいな人も存在するとは思いますが、この社会生活の中では、100%といってもいいくらい人間は何かにたよって生きています。
衣食住の基本を考えるだけでもご理解いただけるのではないでしょうか。



自立って何なんだろう?




自立に関して、いくつか気になった文章があったのでここにご紹介します。

さんにちEye山梨日日新聞電子版 2014年12月24日
「本当の自立とは何?」本田秀夫・信州大付属病院子どものこころ診療部 診療教授

*こちらのコラムから引用させていただきます

多くの親たちにとって、子育ての目標の一つが「自立」であることは、間違いない。
 発達や心の健康に何らかの問題があって受診してくる子どもたちの親から、「この子は将来自立できるのだろうか?」という質問をよく受ける。「自立とは何ですか?」と問うと、「誰の援助も受けず1人で生きていけるようになること」という答えが返ってくることが多い。ー中略ー
大事なことは、おのおのの個性や能力に応じて、自分でできることとできないことを判断する力を育てること、そして、できないことについて他の人に援助を求める力を育てることである。前者は「自律スキル」である。読み方は同じだが、何でも自分でやるという意味の「自立」とは異なり、「自分を知り、自分の個性や能力を上手に発揮する力」である。後者は、以前にこのコラムで取り上げたことがある「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)につながるソーシャルスキルである。


「自分を知り、自分の個性や能力を上手に発揮する力」
「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)につながるソーシャルスキル


この二つは発達障害を持つ子の保護者も発達障害当事者も自立へ続く力として理解しやすい想像しやすいものだと思います。

自分の得意なことと苦手なこと、自分の好きなことや打ち込めることと努力しても出来ないこと無理してもやり遂げれないこと。これらは発達検査・知能検査の詳細や、経験をつむことで自分でもはっきりわかってくることです。(ただし、素直にならないと難しいですが)
「自分を知り、自分の個性や能力を上手に発揮する力」は幼児期からの本人を見守りつつ行う物事へのチャレンジとついつい気になってしまう苦手分野のあきらめがたいせつなのではと思います。

いっぽう、「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)につながるソーシャルスキルについては、人とのコミュニケーションが苦手な子が多い発達障害児にはある程度のトレーニングが必要となってくるでしょう。
これも幼児期からの療育などでつちかっていければよいのですが。

本田教授はこのことについても書いてくださっています。

 「ホウレンソウ」の力を育てていくには、幼少時の「駄々をこねる」行動を大事に育てていくことが重要であることは以前に述べた。一方、自律スキルを育てていくために大事なことは、得意なことや好きなことを思う存分できる環境を保障することである。得意なことや好きなことをやることで、自信と意欲を育てながら自分の力とその限界を判断する力も身についていく。苦手なことの克服ばかりを目指していても、自信と意欲は育たない。
 たとえ心身に病気や障害があっても、自分にできることは着実に行い、できないことは誰かに相談できれば、本人も周囲の人たちもストレスなく生活できる。


残念ながら「駄々をこねる」行動を大事に育てていくことが重要の記事は現在残されていないようでご紹介することができません。
ない頭で想像してみるならば、「駄々をこねる」という行為そのものの持つ「自我」「自分がやりたいこと」の表現としてうけ止め、成長に合わせて単なる「駄々をこねる」からなんらかな形で「自分の思いを相手に伝える」という方法に発展させて、「ホウレンソウ」へと導いていく、ということではないかと思います。

幼児期からの得意や好きなことを経験させて、自己肯定感を育てる。
そしてその中から大切なスキルを覚えていく。
重要なことはこの二つに集約されるのではないでしょうか。

この二つは発達障害の子どもだけじゃなく、ふつうと呼ばれる子どもたちの自立にも大いに役立つような気がします。

もう一記事、こちらも主に障害者の自立から話を広げて書かれています。

NHK解説委員室 2015年12月10日 (木)
 視点・論点「"自立"について」社会活動家 湯浅 誠

*こちらのコラムから引用させていただきます

ご自身が障害者で、東京大学先端研究所の専任講師でもある熊谷晋一郎さんは「自立とは依存である」と言います。どういう意味でしょうか。熊谷さんは、東日本大震災の際のご自身の経験をもとにこのことを説明されています。ー中略ー
のご自身の体験を「自立」という概念と結びつけて語ります。自分にとって階下に降りる手段はエレベーターしかない。それゆえ、エレベーターが止まってしまうと降りられない。それはエレベーターに強く依存しているという状態だ、と。他方、健常者はエレベーターはもちろんですが、階段でも避難ハシゴでも降りることができる。それは階下に降りるにあたって頼れる手段がたくさんある、拠れる先がたくさんある、依存先がたくさんあるということだ。エレベーターがダメなら階段、階段もダメなら避難ハシゴと、つまり依存先のたくさんある人が、特定の依存先に強く依存することがなくなり、そこに拠って立つこと、それに支配される、自らを委ねる必要がなくなる。だから「自立とは依存なのだ」と、彼は言います。より正確には「自立とは依存先の分散なのだ」と言うわけです。


目からうろこ、いえコンタクトがが落ちるかと思いました。
「依存」というものは「自立」に最も遠い存在であると思い込んでいたからです。「依存」しないことがよいこと。「依存」することが悪いこと。そういう図式が出来上がっていました。
言葉の遊びですが、「依存」ではなく「共生」「助け合い」「支援」あるいは「道具」と言いかえるならこれほど驚かずにすんだと思います。ここであえて「依存」という言葉を選んだ、熊谷晋一郎さんのセンスがすばらしい。

「支援」であれ「共生」であれ、障害を持つものとしてはどうしても一方的なものを感じとってしまいます。「自分だけが助けられている」というような感覚。これでは自己肯定感は保てません。
ですが、「依存」という言葉ならば、自然に納得がいきます。人間誰だって何かに「依存」して生きている。
そう考えることで己の依存先を一点に集中させるのではなく出来るだけ分散させるように自分の頭で創意工夫をしていくことが出来るから。

「依存先の分散」障害者も健常者も(あえて意識はしないかもしれませんが)このことを意識して生きていければ、それは自然と自立への道となる。

引用させていただいたあとの文章も、自立というものを重く考えがちなひとりとして感謝の気持ちがあふれ出るくらい自分の中の何かが変化したように思います。本気で感謝せねばなりません。

最後にもう少しだけ引用させていただきます。
 「自立」は肩ひじ張って自分に閉じこもることではなく、他者に開かれています。自立しているイスや三脚も大地に支えられ、大地に依存しているわけです。強すぎる「自立」幻想は、かえって他のもろもろに支えられている自分のあり方を見えなくさせ、自分やそして周囲をも生きづらくさせる。そしてこれは、一個人にとどまらず、地域の自立にも、国家の自立にも通じることではないか。私はそんなふうに考えます。

いかがですか?短い文章ですのでぜひリンク先の前文を読んでいただきたければと思います。


東京都人権啓発センター TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行)インタビュー
自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと 
熊谷晋一郎さん小児科医/東京大学先端科学技術研究センター・特任講師

*こちらは、熊谷さんへのインタビュー記事です。少し長いですが自立についてその先まで、語られています。



わたしの中では、ご紹介したこの二つのweb記事で「自立」というものが形として見えるようになりました。
もちろん、この考え方に反発される方もいらっしゃると思います。
ですが発達障害を持つ当事者として、発達障害を持つ子どもの親として、「自立」というそびえ立つような大きな壁だったものが、ちょっとがんばれば越えられる壁へとさま変わりしました。

湯浅誠さんの言葉にあるように「肩肘張って」ではなく、本田教授の「自分を知り、自分の個性や能力を上手に発揮する力」をしっかりと育て、つちかったスキルを生かして、肩の力を抜いて、自分の周りのものや人に「依存」しながら生きていくことが「自立」なのではないかと。
少なくともそう考えることで精神的に病むことからは遠のくのではないでしょうか。



できることからはじめる自立



それでは、具体的に「自立」に向けてどうすればよいのか、何とか自分の考えをまとめました。

ASDの息子を持つ母親であるということと、自身もASDという発達障害者なうえ、二次障害として精神疾患を持っているものであり、「ふつう」の枠からはみ出している「マイノリティ」だという自覚はあります。
ですからこのわたしの思う「自立」への思いは理解していただくのは難しいかもしれません。
頭っから「マジョリティ」の思考方法がわかっていないからです。
わかりづらいと思いますが、もう少しお付き合いくださるとうれしいです。


自分で選択→決断できる
自分で実行→責任を持つ
そのために
自分で助けを求められる


これは、過去数あるセミナーや勉強会で教えていただいた「発達障害を持つ子の自立像」です。

福祉的には、

身辺自立
経済的自立
生活(社会的)自立


と教えていただいたこともあります。

「身辺自立」については、知的に重くなければ幼児期からの経験で、時間はかかるでしょうが何とかなるような気がします。
過度の過敏やこだわり、不注意、といった問題もあるでしょうが、就学前は保護者との家庭という小さな社会の中でのルールを学び、個々にある問題をひとつひとつ解決していくことが必要でしょう。
それは、ものの助けだったり、方法の変化だったり、構造的な工夫だったり。
家庭の中や療育などによって自己肯定感とともにつちかっていきます。

就学すると、今までとは違った世界に飛び込むことになります。
家ではできていることも学校ではできない。何てことも出てくると思います。
もちろんいきなりではなく、色々なものを使って、子どもの心の準備をしていても、思いもよらぬところで落とし穴があったりします。

そこで、自分で選択→決断できる癖を小さなうちからつけていくことが大切になると思います。
幼児の頃や就学しても受動型の子どもですと、なかなか自分の意思を言葉にしてあらわせない。
言葉とは別の表現方法になってしまう。これがいわゆる問題行動であったり、自傷行為であったりすることが想像できます。

幼児のうちから、親がものを選んで与えるのではなく、二者択一でもいいから、子ども自身に選ばせるということを、何かにつれやっていくこと。これが思いのほか成長に役立つと思います。
自分で選ぶという癖をつけそこから自分の思いを言葉にするというところまで成長できれば、あとは自分にできないことを手助けしてもらうこともできるようになる。それもいつも決まった人ではなく(たとえば母親など)園の保育士さんや学校の先生、高学年のお兄さんお姉さんにも伝えることができるようになる。
これが出来るようになるだけで、子どもはぐぐんと成長するのではないでしょうか。

自立への第一歩ですね。



小さなうちは「経済的自立」など先の先というイメージですが、案外あっという間にその時はやってきます。
たとえ実際にその仕事で食べていくことが無理であろうことであっても、子どものうちに世の中にはいろいろな働き方やいろいろな仕事があるのだということを知らしていくことも大切だと感じています。

新 13歳のハローワーク -
新 13歳のハローワーク -

もし好きなことや得意なことが見つかっているのならば、それについて具体的にどんな仕事があるのか、家庭でも話し合ってみると霧に隠された未来に複数の道の絵を描くことができるかもしれません。

「どうせできないんだから、将来の話はできるだけしたくない」
という保護者の方もあるいは当事者であっても思うことや口に出してしまうことがあるかもしれません。

「働くこと」「経済的に自立」「納税者になる」ことだけに注目してしまったら、未来が狭まってしまいますし、それは親、保護者が決めた道となってしまうのではないでしょうか。

障害の種類や度合いによってできないこととできることが、よりハッキリしているので、そこは保護者や支援者の助けでどこまで将来の道をふやせるかが大切になってきます。それでも本人抜きの将来設計ではなく、なんらかな形で本人の意思を尊重した将来をいっしょに描くことができたら最高だと思います。

経済的自立を意識しすぎて、社会制度、福祉の助けを借りることを極端に恐れさせることはとても不幸なことだと思います。

自分で実行し責任を持つためには、どうしてもできないことや苦手なことは出てきます。その時に、ちゃんと助けを求められるように、「福祉」=「恥ずかしいこと」などといった間違ったことを覚えさせないように、家庭も教育者も支援者も注意してほしいなあと思います。
大人になった発達障害児の道が極端にに少なくなってしまうからです。


社会的自立も自己肯定感さえしっかりと出来上がっていたならば、そう難しいことではないと思います。
不得意な分野で助けを求めることができる、自分の好きなこと得意なことがなんらかな形でいかされる。
趣味活動としてでも自信を持って続けられるのならとてもよいことではないでしょうか。そこから、働く(お金をいただく)というかかわり以外の人間関係を結ぶこともできるでしょう。

生きて生活するのは何か楽しいことがないと、つらくつまらないものになりかねません。
いきいきと自立するためにも、子どものころから、いえ、子どものころこそ、得意を伸ばし、褒め、自己肯定感の土台を作っていくことが大切だと思います。

障害を持っているということは不幸でも何でもありません。ただ多くの人とは違う生き方をしなければならないということだけ。
それを他者が見てどう思うかは己には関係ありません。

自信を持って、自立の道を歩めればそれでいいのです。

自分で選ぶ
自分で決断する
自分で実行する
その結果は他者のせいではなく自分である
自分で決め自分で行った結果には自分で責任を取らねばならない
自分で思うことを実行するにあたり、自分の力だけではできないことはアウトソーシングする
他者やものに助けを求めること、これがきちんとできる
そして、何かを達成する
それはとても幸福なこと


何度も失敗するかもしれない。けれど自分で決めたのならその結果は自分。
次の道を進むか、同じ道をまた挑戦するか、それも本人が決めること。

親がそれに口を挟むと、それは子どもの自立を阻むものとなります。
現れた結果を、人のせいにしてしまいやすい(つまりは親のせい)

よくあるパターンですよね。

子どもの人生は子どものもの。

子どもの人生は応援するものであり、人生のレールを敷いていくものではない。
子どもの自立に関して一番先にできることはこのことじゃないかと思っています。


さいごに



我が家の息子の自立について少々。

自立を意識して子育てをしてきたわけではありませんが、いま思うと役立っていたなと思うことをあげていきます。


自分の食べるものは自分で選ぶ
多少時間はかかりますが、ファミレスやファーストフードならばわかりやすいメニューになっているので言葉で告げなくとも伝わりました
幼いうちは、お子様メニューなどから選んでもらえば、少ない選択肢から選ぶことができます

自分で着る服は自分で選ぶ
これも三点くらいから選ぶことからはじめ、年齢が上がるにつれ、購入する服も自分で選んでもらうようにしました
今ではネットショッピングです

プレゼントは自分で決める
クリスマスや誕生日にほしいものは、早めに決めてもらいました。これは逆に数点挙げてもらったものから、贈る側が選ぶというかたちがはじまりでした。

見たいDVDは自分で選ぶ
小さなうちは毎週のようにレンタルビデオ、DVDを借りてきていました。
借りたいものを必ず息子に確認してから借りていました。時には同じものを何度も何度も借りたりもしました。

食卓は息子がセットする
これはお手伝いの一環としてやってもらっていました。
成長するにしたがって、メニューを確認するだけでセッティングできるようになりました

おこづかい帳をつける
小学校からはじめたのですが、このおかげで買い物の予定を立てられるようになりました
小二から不登校でまともに勉強してこなかったので、計算力をつけるのにも役立ちました

好きなことは徹底してやらせる
時間などのルールは設けますが、お休みの日などは一日中やっていてもいいという自分で時間を自由に使えるということもやっていました。
おかげで好きなことがたくさんたくさんできました。

本人がたずねたことには正確に答える
ややこしい話など聞いてくることもありましたが、子ども扱いせずきちんと本当のことを伝えてきました。もちろん話せる範囲で。
嘘やごまかしは一切しませんでした(自分が苦手でできないということもありますが)

ありがとうとごめんね
子どもに言わせるのではなく、親からそのつど言ってきました。
我が家では他人行儀じゃないかと思うくらい、感謝の言葉と謝罪の言葉は自然とその場で出てきます。

家族会議
子どもを含めて、近い将来のことから家族内のルール変更や新しいルールについての話まで、必ず全員でしています。これは現在でも続いています。


これらが実際自立にどう繋がるかはわかりませんが、一時期は二次障害で人形のようになっていた息子も、ほんとうにゆっくりですが立ち直ることができました。
現在は自分の夢に向かって、凹んだり浮かれたりすることもありますが、何とかがんばって進んでいます。
親が手を出せることはほんとうに少なくなってきました。

このあと、自立について面白いコラムがありましたのでリンクを貼っておきます。
本当にいろいろな考え方がるのだなあと、楽しくなりました。


内田樹の研究室 2005年01月14日
自立とは何か


ほぼ日刊イトイ新聞 おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!
Lesson644
 「誰かのせいで何かができない」と言わない自立 山田ズーニー




児童心理増刊 発達障害のある子の自立に向けた支援 2013年 12月号 [雑誌] -
児童心理増刊 発達障害のある子の自立に向けた支援 2013年 12月号 [雑誌] -

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2015年12月10日

発達障害児のお手伝いとおこづかい



先月の話題ですが少し思うことがあるのでブログにまとめてみます。

それは子どものお手伝いについて。

「尾木ママ」と「東大三兄弟、佐藤ママ」とのお手伝いに関しての激論

「尾木ママ」こと教育評論家の尾木直樹さんと、息子3人を東大理3に入学させたことで話題の主婦「佐藤ママ」こと佐藤亮子さんが、11月26日放送の『バイキング』(フジテレビ系)に出演し、子育てに関して大激論を交わした。尾木ママは子供の手伝いについて「させるべき」と主張。一方の佐藤ママは受験に不必要なので「させなくていい」と反論。それぞれ、どのような考えがあっての意見だったのか。

*ハフィントンポスト日本版(http://m.huffpost.com/jp/entry/8653956)より引用させていただきました


問題となったTV番組をそもそも見ていないので、ほんとうのところはどうだったのか?は、意見を述べることは出来ないので、上記に引用させていただいた記事の内容だけについて、思っていることを書かせていただきます。

記事のポイントは

忘れ物に関して
『子どもを早いうちから自立させるためにも失敗から学ばせる』尾木ママ
『親が子どもが失敗してやる気を損ねないように親が手伝う』東大ママ

勉強に関して
ひとりでもできるようにアドバイスをする』尾木ママ
『小さなうちは勉強のやり方がわからない、嫌いにならないように、親が一緒に勉強する』東大ママ

お手伝いに関して
させるべき。親子でいっしょに楽しんでやればいい』尾木ママ
させなくてもいい無理にたくさんやらせる必要はない。受験に不必要な手伝いは基本的にはさせなくていい』東大ママ



ざっとひろってみました。

わたしとしては、どちらかといえば尾木ママよりなのですが、細かなところが気にかかるASDの気質が出ちゃいまして、『お手伝いをさせる』と言う『させる』がものすごーく気になってしまって、尾木ママが話してらっしゃる本質が見えなくなってしまっています。

と、こんなわたし自身のひっかかりを含めて、以下、発達障害の子どものお手伝いについて書いてみます。




☆発達障害の子どもにとってのお手伝いは



年齢にもよると思いますが、ノーマルな子どもたちがするお手伝いと言うものは、
・親にほめられたい
・少しお姉さんお兄さんになりたい

といった、他者からよく見られたい。自分自身の成長を他者に知ってもらいたい。が、背景にあるのではないかと思います。
(わたし自身がASD者なので知識としての理解だけで本質はわかりません)

ところが、発達障害とくにASDの子どもたちにとってのお手伝いは
・この器具を操作してみたい
・これがどうなるのか知りたい
などの、あくまでも自分主体な思いがきっかけなような気がします。

料理は科学の実験のようなもの。
裁縫は物を作り上げることへの魅力。
掃除、洗濯は、家電のかっこよさ(これはすぐにあきてしまうと思いますが)などがあげられるのではないでしょうか。

こういった知識への貪欲さがたまたまお手伝いにつながる。と言うことは大いにありえると思うのです。

もちろん、初めてのものには恐怖を感じてしまう子が多い特徴もありますから、あくまでもはじめの一歩は親子でが基本になるのですけど。



☆我が家の場合はこんなかんじでした



我が家の教育姿勢として、

・好きを伸ばす。
・得意を伸ばす。
・子どものありのままのよさをそのまま伸ばす。


が根底にあります。

ですので、自立のためにお手伝いをさせるというのはしません。
あくまでも、
子ども自身が興味を持ったらお手伝いをしてもらうという立ち位置でいます

息子の年齢別に過去してもらってきたお手伝いを書いてみます。


保育園時代

  • 買い物を一緒に行く、自分のものを買ってもらったら必ず自分で袋を持って帰る

  • 食卓のセッティング。何が出来上がるのかあらかじめ申告してあり、取り皿や箸、スプーンなどを用意する。(好きな食事の場合熱が入る、好きじゃないものの場合仕上がりが雑になる。ただし、息子は食事が大好きという大前提がある)



小学校低学年〜中学年
この頃は、二次障害がひどくてお手伝いも手取り足取りの状態で親子のコミュニケーションの一環としておこなわれていました。

  • 家の買い物と息子の買い物を一緒に行く。
    これは、息子の好きなもの(主にゲームやコミック、アニメ映画)に徹底して付き合う。(数時間になることも)そのかわりに、家の買い物袋を持ってもらう

  • お風呂掃除(今でも息子の役目となっています)
    これは、息子の好きなアニメ『ケロロ軍曹』での主人公ケロロが家事を何でもこなしてしまうことと、きれいに掃除したあとの『ピカ風呂』を題材にした回があったため。(ケロロ軍曹には本当にお世話になりました)
    もちろんはじめからうまく行かないので、お風呂の洗剤を一度に全部使ってしまうなど、あっちゃ〜〜なこともしでかしてくれました

  • 金魚の水槽掃除(これはわたしといっしょにやりました。自分の大切にしている金魚ですから一生懸命やってくれます)



小学校高学年

  • 一人で買い物に行く。
    コンビニやドラッグストアなどの家からすぐ近くにある、何度も何度もいったことのある店だったら、簡単なお使いはしてくれるようになりました。
    これも、ゲームソフト屋などで自分ひとりで買い物ができるようになれたことがきっかけでした。
    (ほしいものを店員さんに伝える、探してもらう、それを購入するの流れが一人でできました。これもすべて『ほしいもの』があったからこそのお話)

  • ゴミだし(これはもちろん好きなことでも興味のあることでもありません。働く車オタでもありませんし、のちほどこのお手伝いについて書きます)

  • お風呂掃除(小学校低学年からつづいています)

  • 金魚の水槽掃除(だんだんと息子ができることが増えてきました)

  • マッサージ(これはわたしへのマッサージです。背中に乗る単純なマッサージ)

  • 自分の食べたいものは自分で作る(インスタントラーメンやレトルトでの料理を覚えました)

harubonbon.seesaa.net *過去記事 2010年10月01日




中学校時代

  • 買い物(徒歩30分圏内ていどは行ってくれます。とても助かっています但し自分の買いたい物があれば)

  • お風呂掃除(あいかわらずきちんとやってくれていました)

  • 金魚の水槽掃除(力もついてきて、重いお水もどんどん運んでくれるようになりました)
  • 料理、自分の食べたいものを一から作れるようになりました。これについてものちほど書かせていただきます。



現在/高校時代

  • 買い物

  • お風呂掃除

  • 金魚の水槽掃除(最近は息子の指示に従ってわたしが手伝うという形になってきています)

  • ゴミだし

  • マッサージ(むかしのように背中に乗られたら背骨が折れたら大変ですので、マッサージ器で背中をマッサージしてもらっています)

  • 料理(基本的な料理はだいたい出来るようになりました)朝食と昼食は自分で好きなものをこさえて食べています。学校へ行くときはわたしが作ったお弁当を持っていきます。夕食はセッティングを完全任せています



と、このような感じでお手伝いも年齢に応じてレベルアップしています。

特に料理は、息子にぴったりあっているようで、主婦として最高に楽させてもらっています。
次に、このお料理のお手伝いについて、発達障害児らしい上達法と興味を持ってもらう方法を書いてみます。



☆発達障害児の料理の覚え方



あくまでも我が家の息子の場合ですが、


  • 食べることが好き

  • 小さな頃からキッチンに立っている(台に乗ってお皿洗いもしていました)

  • 外食で食べたものを、自宅でも再現しようと試みる好奇心がある

  • 見た目を重視する傾向がある


そして何より、自分ひとりでやりたがる。


これ、とても大事だと思うのです。年齢が小さなうちは、火の扱いなどの問題がありますが、ある程度の年齢になったら、完全にひとりで任せてしまったほうが、効果は高いと思います。


息子がとった料理の方法は。


  • 食べたいものを決める(何か食べたくなったら)

  • 食材をそろえる(ないものは買い物へ行く)

  • 食材の外箱やお料理動画などで作り方を把握する

  • わからない用語が出てきたら、わたしに尋ねるかNETで調べる

  • 手順にそって、一つ一つ確実にこなしていく


ここで注目していただきたいのは、食材のパッケージの裏側に料理方法が載っていることは多いですよね、これを利用して料理を覚えていくのです。

料理の盛り付けも、パッケージどおり仕上げてくれます。

普段使わないような食材も購入することになるかもしれませんが、せっかくの思いをジャマしないように、まずはやらせてあげてください。

このことを知るきっかけとなったのは、やはり親子でASDの方の言葉でした。確か息子さんが言ったことだったと思います。
書いてあることを忠実にやれば料理の失敗はほとんどありません。
発達障害児にはとても向いている方法だと思います。

この先は、息子のように「食べることが好き」だったり、味の魅力に取り付かれてしまった子や、盛り付けや器に興味をもった子や、中には飾り包丁が気に入ったという子は、どんどん自分の興味の先へと突き進んでほしいと思います。

おいしく作る工夫も、発達障害児らしいものが出来上がるような気もします。
シングルタスクならではの工夫ができるんじゃないかと思うのです。

ADHDのせっかちさんならば、すばやくおいしく作る方法も考え付くかもしれません。

こういった面だけでも親としてはとても楽しみになります。



☆さいごにお手伝いとおこづかいについて




息子のお手伝いリスト。
上記の中に、どう考えても『好き』『得意』は関係ないだろうという項目があったと思います。

『ゴミだし』『マッサージ』です。

それはおこづかいに関係があるのです。


我が家は小学校までは月ぎめのおこづかいはありませんでした。

そのかわり、お年玉などいただいたものは全額、自分自身で管理させてそれを自由に使ってもいいことにしてありました。
ただし、

『おこづかい帳を必ずつけること』

これがとても役になっています。小学校中学年からはじめたのですが、学校へいっていない息子にとってのいい算数の勉強になりました。まさに実践です。(小学二年生からの不登校児でした)

そして、自分のほしいもの(主にゲームソフトでしたが)を購入するために、いくら必要か、NETやお店で下調べをし、現在の残額と照らし合わせ、これから新しく発売される他のゲームソフトとの兼ね合いも考えて、

お手伝い=おこづかい作戦

を思いついたようなのです。

これは、普段やっているお手伝いは含まれません。息子が自分から新たに提案したお手伝いだけです。
それが、ゴミ出しマッサージだったのです。

ゴミ出しは一袋10円。マッサージは30分50円。

よくがんばりました。がんばったつきは1000円くらいにはなるので、ちょっと我慢すればほしいソフトが購入できます。

このお手伝い=おこづかいの難点は、お年玉が入ると、お手伝いしてもらえなくなるってこと。
まあ、問題なしですが^^;

高校になってからは、おこづかいも月額制になったのですが、何故かとても、欲がないというか、自己申告させたら、なんと月額500円でいいとか。

ゼロが一つ少ないけどいいのか?と思いつつも本人がそういうならばと、高校に入って9ヶ月一月500円で過ごしています。
もちろん、お年玉の力が大きいですけど。通っている通信制の学校は、町の繁華街にありますし、コンビニが周りにいっぱいありますし、オタク心をくすぐるお店もいっぱいありますし、すぐにねを上げるかと思っていましたが、大丈夫でした。

足りないおこづかいをなんとかしようと、彼が出してきた戦法は、『値上げ交渉』ではなくて、昔していた、
おこづかい=お手伝い作戦
でした。

そのおかげで、高校時代のお手伝いリストにも、ゴミ出しとマッサージが乗っているのです。
あいかわらず、ゴミは一袋10円、マッサージは30分50円です。
親としてけち過ぎるかもと思うのですが、息子がそれで言いというのですから、まあOKですよね。

我が家の仕組みとしては、本の類は全部わたしが購入していますので、息子がおこづかいで必要なものは、文房具、コンビニなどでのちょっとした飲み物食べ物、お友達と遊びに行ったらその経費、そしてゲーム関係。

長年おこづかい帳をつけていますので、お金に関しての先の見通しは付けられるようになっています。

お手伝いとおこづかい。
なかなかといいシステムだったなと、今ごろになって過去の自分に感心しているわたしなのです。



まとめとして、尾木ママと東大ママの話に戻ります




さて、ここまでダラダラと我が家のお手伝い内容を書いてきましたが、一番初めに触れた、

『子どもにお手伝いをさせるさせない』の問題定義。


先のおふたりとは少し違う形で、わたしは『お手伝い大賛成派』です

但し、お手伝いはさせるものではなく子ども自身が興味を持つのが絶対条件。
もちろん親が興味を持ってくれるように努力するのはありだと思います。


そして、『失敗はどんどんしたほうがいい派』です

失敗したあとは必ずその子の成長や性格に合わせたフォローが必要。
ほんの少しの失敗で、ガラスが粉々に砕けるように、心が粉砕してしまう子も中にはいますから、失敗も最小限ですむように細心の工夫が必要と思います。


勉強については『子ども自身が必要と思ったときからはじめても遅くない』と思っています

これはちょっと親にとって度胸がいるかもしれませんが、心が不安定な時期とか、まだ成長がいたっていないときには勉強の意味を子ども自身が理解できません。
中には勉強が好きな子(得意課目の凸凹があったにしても)も発達障害の子には多いと思うのですが、我が家の息子のように、ほとんどの科目が大嫌い。音楽も、習字も、準備をするのもいや!といったタイプの場合は、何年もかかりましたが、自発的に学ぶ姿勢ができるまで待つことは大切だと思います。

いつかは学びはじめます。
*二次障害がひどかったり知的に問題がある場合は自主的には難しいかもしれません、やはりその子その子にあった方法でということだとおもいます


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2015年10月12日

発達障害の二次障害とその子の好きをのばすこと



発達障害の二次障害とは



発達障害の診断がおりるのは、3〜4歳の幼児の時期が理想といえば理想です。

ここで、診断までは行かないグレーゾーンといわれたお子さん。またはまったく見逃されてしまったお子さんは、悲しいかな、二次障害などの問題が起きてから発見されることが多くあると思います。

二次障害に陥ってしまうと、回復までの時間はとてもとてもかかってしまいます。

だから早期発見早期療育がよいとされているのだと思うのです。

簡単に二次障害のことをお話すれば、それは大人のうつの状態にとても似ていて、子どもが本来あるべき、生きる力や輝きが失われてしまった状態。と想像していただければご理解いただけると思います。

二次障害の現れ方は、年齢や成長の度合い、その子本人の性格によっても、さらされている問題点によっても異なってきます。

我が家の場合は、

日中は死んだようにおとなしいほとんど話をしない。
夜は眠れない、眠ったとしたら夜驚症。
自分の体毛を抜いてしまう抜毛症。
あたり前のように学校へは行けない。
この当時の記憶がほとんどない。


こんな感じでした。

反対に暴れるという形で症状が出る方もいらっしゃると思います。

自分の意思をまったく見せない、見ようによっては、おとなしい人形のような子どもだったので、しっかりしつけをなされた、よい子ども、わがままを言わない子ども。というように見られることが多かったです。
(専門家はさすがに見破ってくださいましたが)

二次障害が起きる前の息子は、お気楽で底抜けに明るくて、ギャグを言ったりおどけた格好をして人を笑わせるのが好きな子どもでした。
人前にたって、何かをするのも気兼ねなくできる子で、保育園の劇では主役に立候補してその役を下手ながらもちゃんとこなしていました。

発達障害的に言うと、むかしは、積極奇異型だったような気もします。(遠い昔過ぎて忘れてしまいました)

二次障害を患ってからは、誰が見ても立派な受動型。
自分の思いはほとんど口にしません。

二次障害になったのは7才小学校二年生。
現在は16才高校一年生。

信頼できる人の間では、自分の思いを口に出すこともできますし、それに向かって努力することもできます。
やっとです。

しんどい思いは、中学二年生まで続きました。
が、年々少しずつ成長していってたのですね、それからは、みるみる元気になっていってくれました。



子どもが二次障害に陥っている間に親ができること



親ができることって、くやしいけれどほとんどないんですよね。
ただひたすら待つ。というのが我が家のパターンでした。

もちろん、通院や療育やカウンセリング、家の中でのすごし方の工夫、学校との対応などはできますが、それも一定期間を過ぎてしまうと何だか同じことの繰り返しのような気がしてきて、待つ時間の長さが永遠のものと感じてしまっていたということもあります。

焦りがなかったといえばうそになりますが、親のあせりはそのまま子どもは敏感に感じ取ってしまうので、二年目くらいにはずいぶんと慣れてきて、焦らずにすむようになりました。

そうすると、ただただ不安だった子どもの将来のことも、だんだん見えてくるようになりました。
まずは中学進学をどうするのか?その先は?というように、いろいろな道を模索できるようになって、みんなと違った道もいろいろ探せばたくさんあることを発見できて、だんだんと安心感も出てきました。

その間も息子はひたすらお人形のような状態でしたが、少しずつ変化は見られるようになりました。
むかし好きだったもの、アニメやゲームなどで自分がほしいものが出てきたのです。
まだまだ言葉で人に告げることはできなかったのですが、ゲーム屋や本屋に行くと、自分で自分のほしいものを選べるようになったのです。

もちろん親は選んでいる間、口を挟まずひたすら待ちです。そこそこ苦行です。

その時期が過ぎると、今度は自分ひとりで好きなものは買いにいけるようになりました。
はじめは何を買いたいのか選ぶために店に足を運ぶ。
買いたいものがあると親に告げる、買いたいという報告です。(ゲームなどは自分のおこづかい、お年玉などをためたものから購入していました、本は親が買ってあげていました)そして、自分で買いに行く。

ここまでくると、後はほかの日常のちょっとしたものでも自分の意思をいえるようになってきました。

親はできるかぎり子どもの意思を尊重するために努力しました。
いま思うとこの時期の、見るからに甘やかしが、のちによい結果となって現れてくれました。


食玩を捜し求めて、近所のスーパーからコンビニから2時間くらいかけてあちこち歩き回ったこともありました。

見たかった映画が見れなくて、翌週すぐに予定を変更して見に行ったり。

今では懐かしい思い出です。

二次障害からの立ち直りの時期は、手一杯目一杯、親が手をかけ目をかけてもいいとわたしは思います。
それが、よく言う、単なるわがままな子に育ったり、そういう環境をそのまま誤学習したりなどということは、そのまま放置でもしない限りありえないと思っています。

このもが立ち直る度合いに応じて、親も少しずつ手を離していくのです。ただ、子どもには安心感だけしっかりと持たせて。

この時期もまた長いのですよね、よくなったと思ったらまたちょっとしたことで落ち込んだり。

でも、ずっと同じところにはいません。少しずつでもちゃんと成長します。

待ちくたびれてしまいますが、とても長いですが、しっかりと安心感を与えてまっていれば、ちゃんと一人で道を歩いていくようになります。

もちろん、これは我が家の話。

それぞれのご家庭にあったやり方もあるでしょう。

ただただ、共通することは、安心感とじっと見守って待つ。ということだと思います。

これが親のできる一番大切なことじゃないでしょうか。



専門家の力をどんどん借りましょう助けてもらいましょう



発達障害や子どもの精神の専門医や、臨床心理士、そしてお薬。

学校関係は、通っている学校との密な連絡(特に管理職との)、地域の教育センターなどで行われている催しや療育。通級指導教室。

介護職の事業所やヘルパー。

お稽古事もやりました。ピアノとそろばんと空手。
そろばんはすぐにやめました。やはり勉強に近いものは苦手意識と恐怖が強かったようです。
ピアノは小学校卒業まで続けました。何度か発表会にも出ました。
空手は、今でも一応続けています。筋トレ好きな高校生になっています。

嫌だといったらどれもすぐにやめる予定でしたが、やめるにいたったのはそろばんだけでした。おもしろいものです。

学校以外の行き場。
これを作ることも大事なことだと思います。
それにはその道の専門家の力を借りるのが一番。


最後にお薬のことも少しふれておきます。

子どもに精神のお薬を飲ませることに不安を感じないおやごさんはいないと思います。

それでも、発達障害そのものの負担を軽減させるお薬や、二次障害のつらさを和らげるお薬は、子どもにとって必要なものだと思っています。
年齢が上がってきたり精神的に落ち着いてきたりすると、自分で薬をちゃんと飲むようになります。(間違っても依存じゃなくて、必要なときにちゃんと飲めるという意味です)
それは薬のメリットをちゃんと自身が理解しているからだと思います。

中学生や早い子ならば小学校の高学年になれば、薬の副作用などのデメリットの話も出来ると思います。

子ども自身がしっかりと薬のことを把握するのは大切なことと思います。

幼い時期はおやごさんも不安でしょうが、専門医の指示に従ってきちんと服薬することで、発達障害の辛さや、二次障害のしんどさを軽減できるのならば、それにこしたことはない。

我が家も、ずっと薬を飲み続けています。

ドクターはそのときそのときに応じた処方をきちんとしてくださいますし、親もその薬のメリットデメリットをきちんと調べます。

まだ15才(もうすぐ16ですけど)なのに、そこそこたくさんの種類のお薬を経験しています。

お薬にもしっかりと助けてもらいました。


子どもの笑顔がみえてきたら



そこから、好きなことや、得意なことをいっしょに見つけていくといいと思います。

虫が好き、電車が好き、ゲームが好き、アニメが好き、漫画が好き、数字が好き、レゴブロックが好き、子どものころに遊んだものの中で、きっと何か見つかるのじゃないかと思います。

年齢が高くなったから、おもちゃで遊ぶのはちょっと…とか考えずに、好きなことを好きなだけやらしてあげるといいとおもいます。(もちろん家庭のルールに従ってです)

そういった好きなものや好ましいと感じるものの中で、きっと将来の道に繋がる何かが生まれると思います。

それがそのまま形にはならないかもしれませんが、そのとき培ったものが、経験が、将来への道に繋がっていくのです。

わたしはそんな風に考えていますし、いま高校生の息子は、自分の好きなことを極めるために、高校もそれができるところを選び、無事に入学して、ぼちぼちながらきちんと通っています。

卒業後の進路ももうすでにある程度決めているようです。



講座 子どもの心療科 -
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2015年10月04日

障害者差別解消法をふまえて、今後の学校との対応ついて




またまたお久しぶりです。
ひと月あいてしまいました。

今日は、学校との対応について新しい情報を得ることができたので、わたしも少しまとめておきたいなと思い書いています。


平成28年4月1日より 『障害者差別差別解消法』
 障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律 が施工されます



2年前にこの法律が成立していました。このことをちゃんと知っていて忘れてしまっていたのか、はじめからまったく知らなかったのかはわかりませんが、この法律が来年の4月から施工されることを教えていただいて、とにかくビックリしました。

差別が法律によってなくなる?(かも?)

もちろん背別自体がゼロになることは考えられませんが、法律という強い見方ができたことは確か。
ありがたいことです。

障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律 平成二十五年法律第六十五号 内閣府HP


この情報を教えていただいたのはこちらのブログ記事です。

「合理的配慮が学校を変える!」うちの子流〜発達障害と生きる

とても詳しく丁寧にまとめてあるのでぜひご一読いただきたいなあと思います。


まずこの法律がどんなものなのか、わたしの中でわかる範囲でお話していきます。


合理的配慮



まずこの法律の中で定められている『合理的配慮』というものに目が向きます。
それは、子育てにおいて、教育の場において、まず一番欲するところだから。

先にご紹介しましたブログの中でとてもわかりやすい文章がありますのでここに引用させていただきます。

この中にある「合理的配慮」は、障害を持つ人々に対して必要な環境整備などの配慮を行うということ。

それにより、発達障害児をとりまく学校環境が大きく変えられるのではないか、その他多くの子供たちにとっても変化をもたらすのではないかということについて書きたいと思います。

簡単に言えば今まで配慮を求めても「前例がない、特別扱いできない」などと断られていたことが、配慮しないのは法律違反ということになりかねないのです。

「合理的配慮」の否定は障害を理由とする差別になるのです。

ただし、均衡を失した又は過度の負担を課さないものという条件があります。

法律のことなので難しい文言が並びますが、来年度よりお子さんにとってよりよい学校環境を求める上で非常に大切なこととなってきます。
*うちの子流〜発達障害と生きる「合理的配慮が学校を変える!」より引用させていただきました


そうなのです。今まで学校に配慮をお願いするにも、遠慮をしたり、あるいは過度のお願いなのかもしれないと悩んだり(モンスターペアレンツと思われたくない…など)問題が起こるまで我慢してきたことがある方は多いと思います。

我が家もそうでした。
息子が二次障害でどうにもならなくなってから、学校にいろいろとお願いをしていきました。今から考えると二次障害になる前に、遠慮をせずにお願いしていたら、結果は違っていただろうなあと思います。
(もちろんそのときの経験があるから今の息子があり私があるのですが)

ですが避けられる苦痛や障壁は、特に自己肯定感をはぐくむ年齢のうちは何とか避けていくのがベストでしょう。二次障害などになってしまうと、発達障害児の遅い成長がさらに遅くなって元にもどすだけでも何年もかかってしまいます。息子はそうでした。

だからこそ、この合理的配慮の後ろ盾は、親にも子にもとても心強いものとなります。
いわば、特別支援教育に法律という味方ができたと考えてもよいかもしれません。


もちろん、あくまでも学校にはお願いという姿勢は崩してはいけないと思いますが、今までとは違い、保護者側がきちんとこの法律のことを知っている。ということを学校側にわかってもらえれば、学校側はできるかぎりのことはしてくれるでしょう。

合理的配慮の例 文部科学省HP
合理的配慮等環境整備検討ワーキンググループ 報告 文部科学省HP

上記のリンクには、具体的な配慮がのっています。
個々人が求めるものとは具体例が異なるかもしれませんが、この例をふまえた上でお願いしたい配慮の項目を考えるための指針になると思います。


差別の解消の裏側



少し目線を変えます。

こうやって差別に対する法律ができたことは、障害者の啓蒙としては立派な成功例と思います。
実際に、上記に上げたように子どもに関してだけでも、未来に希望が持てるようになります。

しかしその裏側で、配慮を受けている子を健常児の子どもたちがどう思うか。
教師の腕次第で、そんなネガティブなことは考えずにすむと思いますが、教師の、あるいは学校自体のカラーしだいで、この配慮が「いじめ」などに繋がらないことを願う気持ちもあります。

新しいことにはそれが拡がるまで、いろいろなことが起こりえることも、親としては考えておかねばならないと思います。

親側で出来ることを少し考えて見ました。

☆子ども本人に、障害の告知を早めにすます
(障害名までは告げずとも、特性だけでも肯定的に伝える)

☆学校側と今まで以上に蜜に連絡を取り合う、特に、管理職
 (担任だけでは責任の所在があやふやになることもあるでしょう)

☆担任と相談してクラスの親御さんに配慮を受けていることを知らせるかどうか決める
(子どもに告知をしたうえで、本人を無視した行為はよくないと思います。担任しだいで親御さんにわざわざ伝えずにすみ場合も多いと思います)

☆子ども自身に、生きていく上の基本的なルール、他者に危害を加えないを徹底的に教える
 (これが一番大切かと思います)


私が気づいたのはこれくらい。

この法律で支援や配慮をお願いすればするほど、子どもの他害の問題は大きくなると思います。
充分に注意が必要だと感じています。

そういった問題を回避するために、特別支援級在籍にするなどの工夫が必要だと思います。
今までのように、よい面だけで、支援級を選ぶだけではなくなってくるのではないかと思います。

とにかく子ども自身が落ち着いていられるように、幼児時代から、安定を目指して、無理をさせず自己肯定感をしっかりと高めて、就学をむかえることが大切になってくるのではないでしょうか。

発達障害の子育ては時間と忍耐が必須です。

それぞれのご家庭で背景は異なりますが、できるだけ子どもに寄り添える環境がとれればと思います。
(このあたり、何らかの支援が増えると助かるのですけど)

親は最後まで子どもの味方でいてほしい。

そんな風に考えています。


案外、こんな杞憂は必要のないくらい、学校関係で自然と障害者差別の解消の基礎ができあがるかもしれません。
そうしたら、その子たちが大人になったときには、障害だけでなく、いろいろなマイノリティへの差別もなくなっていくかも…。
などと、ネガティブな考えの反面そういうことも想像しています。
(あいかわらずお花畑です)


とりあえず、今までより配慮に関してはより充実することだけは確か。
希望を持って、感謝の気持ちを忘れずに、配慮をお願いしていきましょう。


*参考サイト
合理的配慮が学校を変える! うちの子流〜発達障害と生きる
障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律 障害者差別解消法 内閣府HP
障害者差別解消法リーフレット 内閣府HP
障害者さべつ解消法ってなに? 日本障害フォーラムリーフレット pdfファイル
障害者差別解消法Q&A シノドス

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