しつけと常識~子ども虐待について考えてみる2

今日も懲りずに虐待について書かせていただきます。

*昨日の記事「第四の発達障害~子ども虐待を考えてみる」


自分の書いたものを読んで、なんでこんなに神経質なの???とそのしつこさにあきれ果てているのですが・・・

昨日書けなかったことを、きちんと書くまでは自分自身のフラッシュバックに決着がつかないので、やっぱり、書いてしまいます。




過剰に反応してしまう「虐待」

これは、自分自身の過去の記憶と、それに上塗りされた、ここ数年の記憶が原因です。

正直言って、自分がここまで過去に縛られていたとは、気付いていませんでした。


少し整理させてください。


私がフラッシュバックを起こす事柄は・・・


①虐待がらみの事件を知った時

②その事件について、母親側に同情的な意見を聞いた時

③同情だけでなく、いけないのは社会だ。無理解なまわりだ。と責任の転化の意見が目に付いた時。

④しつけの名の下に、親の行為を正当化する発言を聞いた時。

⑤子どもの心を無視している親の見た時、または、そういう発言を聞いた時。



つまりは・・・
子育ての考え方を聞いているだけで(見ているだけで)それが=虐待と感じてしまうことがあるのです。

これはとても大袈裟な感情であるし、神経質すぎると自分でも承知しています。


虐待の事件などがあるとそれについて言及されるblog、あるいは発達障害がらみだと、自閉関係の掲示板などでも意見が交わされます。

掲示板などでは、虐待してしまった。しそうだ。などの相談事があがる事もあります。

いずれの場合、何故かほとんどの場合、子どもではなく親のほうに同情的な意見が多く寄せられます。



正直、これが信じられない。


これが、一番の大きなフラッシュバックの原因。

自分を虐待してきた、自分がされてきた虐待が正当化されているような気がしてしまうのです。


今は親と言う立場、それも発達障害の親・・・

同じ土壌のはずなのに、虐待をしてしまうしそうになってしまう親に同情できないのです。

辛い状況は理解できます。

でも、絶対に同情は出来ない。


なのに・・・

同じ立場の親から、そんな非・人間的な行いに同情する声が上がる。

たしかに、母親を責めて今の精神状態をもっと追い詰めたらそれこそ、本当の事件になってしまうかもしれません。

ですが、「みんな同じよ」「私もそうだった」などという虐待を正当化してしまうような同情だけは、私の中の幼い私がどうしても許してくれないのです。




子どもは絶対的な弱者です。


親と違って、何も選ぶことは出来ないのです。






最近、こういうことを過剰に考えすぎて、子育てそのものに疑問を持つようになってしまいました。


しつけとはなんだろう・・・

人の迷惑ってなんだろう・・・

自立ってなんだろう・・・



我が家は、甘すぎる教育方針だと思っています。

そうですね、精神的なことなルールは


「ありがとう」と「ごめんなさい」


これだけです。


これは誰にでも、同等にことばにするようにしてもらっています。

人間だけではなく、食べ物にも、文房具にも、洋服にも・・・

「ありがとう」「ごめんなさい」

こう、言ってもらっていますし、私も言葉にしています。


ほんの小さな頃から、これだけは守っています。
息子、ぼん君は、気張らずに自然と感謝の気持ちと謝罪を言葉にする事が出来ます。
これは大きな強みであると思っています。
(私は謝る事が出来ない子どもでしたから、よくわかります)



しつけ・・・


これは、時代とか文化の違いで変わって来るものだと思っています。
ほんの少し、住む場所が変わるだけで、その場の常識は変化します。

ましてや、日本以外の人には通用しない常識が多いです。


人の迷惑・・・

これも、何を持って迷惑と言うのか・・・を考えていけば(中島義道ではありませんが・・・)
その場のルールさえ守っていけば、こだわる必要はないと思っています。


自立・・・

これに関しては、私は発達障害なら発達障害らしく生きていければいいと思っています。
たとえ、高額所得者になれたとしても、自分らしく生きられなければ、自立とは言えないと思いますし。
発達に凸凹があるのなら、その凸凹を矯正するのではなく、凸凹はでこぼこのままで全体的に大きくなればいいんだと思うのです。
円に近づけるのではなく、弱い部分も含めて、少しでも成長していけば、自然と自立の道は開けると信じています。



息子、ぼん君。
現在、二次障害の数々に悩んでいます。

夜明けまで眠れない、記憶の消去、解離、抜毛・・・

ですが、去年の状態・・・
おとなしくて人形のようだった、去年から思えば、ずいぶんと人間らしくなった。

眠れなくて目の下まっ黒でも、目がいきいきとしている。


そう感じています。


悔やまれるのは、去年ぼん君がそんなになるまで苦しんでいる事を理解してあげられなかった。気づいてあげられなかった。

発達障害の子どもって、ほんの些細な事柄でも、傷ついてしまう。

ましてや、本当の虐待・・・


どれだけの傷を残す事になるのでしょう。
どれだけ、成長の妨げになることでしょう。



本当に恐い・・・


考え出したらキリのない、迷宮にはまってしまいますが・・・



ひとつだけ、どうしても書いておきたい事があります。


親として子どもにとって良かれと思うことであっても、もしかしたらよくない事かもしれない・・・

常に、その可能性も頭に入れておくべきだと思うのです。

自分の考えている事、自分が思っている常識を、疑えって事です。


何が「適切」で、何が「不適切」か・・・
そういう決め付けは、したくありません。


命にかかわること、
人に害をなすこと、
公共のルールを守らないこと、

それ以外、決め付ける事などなくても良いのではないでしょうか?


決め付けや考えの押し付け、親が子どもより先に道を作りすぎてしまう。
こういった行いも、私は虐待の一部だと思っています。




<参考>

高機能広汎性発達障害と虐待 なぜ虐待をうけてしまうのか(PDFファイルです)
虐待と犯罪と軽度発達障害(お散歩ウラドオリ)
[本]子ども虐待という第四の発達障害(カイラク☆ノウミソ 週末映画館 +(プラス))
重度発達障害児の成長を止める“療法”(misc.(~2007/10/31))
いまだに『?』ー障害としつけ 編ー(今切屋.kom)
児童虐待(Wikipedia)





長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。


少し楽しい事を書いて、また次の機会には、愛着形成と母子密着について書きたいと思います。





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この記事へのコメント

  • junseok

    こんばんは。

    「しつけ」

    確かに親によっては
    「躾」にするか「仕付け」にするかが
    別れてしまいますね。

    子供のいない立場なので、
    子育ての苦労と言うのは
    やっぱり分からないのですが、
    「子供を育てたい」のか
    「自分が恥ずかしい思いをしたくない」のか
    少々分からない人もいますよね。

    何か自分が間違った育て方をしたくないという
    結果論におびえてやたら叱ったり、
    強制する親を見ると、
    「主導権が逆じゃないか?」と
    思ってしまったりします。
    2008年10月27日 20:19
  • はるぼん

    ♪junseokさん♪

    コメントありがとうございます。
    ああ、漢字にしてみるとイメージがわきやすいですね。
    「躾」と「仕付け」・・・
    私が疑問に感じるのも、やはり、
    「子供を育てたい」のか
    「自分が恥ずかしい思いをしたくない」のか
    の部分なのです。
    しらずしらずのうちに「矯正」「強制」になってしまう・・・
    これが、恐いです。
    みんな恐くないのかな・・・と、よく感じるのだけど・・・
    それこそ、子育てに「正解」はないから・・・
    私みたいに、悩みすぎ、気にしすぎも、結果的に子どもに負担を与えてしまいますよね。反省せねば・・・

    自分で自分の記事を読むと・・・ホント辛くなるわ。
    読んでいただけてこうしてコメントいただけるなんて、とても幸せなことだと思います。ありがとうございます。
    2008年10月27日 21:11

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