子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)
発達障害の子どもたち (講談社現代新書 1922)
両本とも、去年'07年の発行。。。
発達障害の子どもたちのほうは、さらりと書かれているが、第四の発達障害には、しっかりと書かれている・・・
子どもへの虐待
この事について、少々の勇気と、かなりの私自身のこだわり・・・をもって、書かせていただきます。
よって、かなりの偏った考えであり、不快に感じる人もいらっしゃるのではないかと思います。(申し訳ございません)
私は異常なまでに虐待というものに過剰な反応を示す所があって、自分自身呆れてしまうほどなのですが、
この、両書籍を読んでさらにそれがひどくなってしまった気がします。
虐待からくる、発達障害・・・
こういう事実があるとは・・・・
まず、新書「発達障害の子どもたち」第7章から引用させていただきます。
第7章 子ども虐待という発達障害
子ども虐待と発達障害の複雑な関係
筆者が(杉山登志郎)現在勤務する小児センターは軽度発達障害のセンターであると同時に、子ども虐待治療センターとしても働いている。われわれは子ども虐待の専門外来である「子育て支援外来」を開設し、入院、外来治療、および地域との連携を開院以来行ってきた。「子育て支援外来」には毎年一四〇名前後の患者が初診で受診した。
最初に驚いたことは、その中に数多くの発達障害児が存在することであった。具体的な数を出すと、開院後五年間に我々が診療を行った子ども虐待患児五七五名中、広汎性発達障害が全体の二四パーセント、ADHDが二〇パーセントと、この二つですでに四四パーセントを占めた。なんらかの発達障害と診断される子どもは全体の五四パーセントに達した。その中で知的障害を伴うものは非常に少なく、その八五パーセントまでがIQ70以上であった。つまりいわゆる軽度発達障害が虐待の高い危険因子となることが示されたのである。
しかしADHDという診断を受けていない子どもも、多動で衝動的な傾向はきわめて一般的で、発達障害と診断される子どももそれ以外のものもすべて含め、ADHDの三症状である不注意、衝動性、多動を示すものは、じつに子どもたちの八割に達した。ここには複雑な問題がある。それを論じるためには、子ども虐待に認められる代表的な後遺症である反応性愛着障害と解離性障害の説明が必要となる。
(中略)
反応性愛着障害を国際的診断基準では、抑制型と脱抑制型の二つの型に分ける。愛着障害の抑制型は広汎性発達障に非常に類似しており、一方脱抑制型はADHDによく似ている。つまり発達障害、中でも軽度発達障害は虐待を招く可能性が高い事は明らかであるが、ここに原因と結果を巡るニワトリータマゴ論争が勃発するのである。結論を先に述べれば、発達障害の存在が虐待の高リスクになることは明らかであるが、一方、虐待児は愛着障害に基づく多動性行動障害を軸とした発達障害症候群を形作ると考えざるを得ないのである。(後略)
ニワトリが先か、タマゴが先か・・・
これを考え出したら、発達障害児を育てている親はいかんともしがたい苦しみが生じてしまう。
「子ども虐待という第四の発達障害」の中に
〇一般的な家庭環境では、反応性愛着障害抑制型は生じない
という記述がある。
この一行だけで、救われました・・・
果たして、それで安心しきっていいものでしょうか・・・・・
私自身の、本当に個人的なことなのですが、私は母親から虐待されて育った子どもでした。
肉体的暴力はもちろん、何よりも精神的な暴力が、いまだに忘れられない刻み付けられた記憶として残っています。
ほとんどが、封印された記憶(記憶が年単位で欠如している)となっていますが、年をとるにつれてその封印が解かれ、こぼれ落ちて表面にでてくるようになりました。
フラッシュバックですね。
虐待って、一体なんなんでしょうね。
自分の子どもを傷つける・・・
それが、たとえ無意識であろうとも、それはやはり、罪なのだと思います。
わが子が発達障害児である・・・
それは、自分が思い描いていた、未来予想図とは違っていたかもしれません。
子どもと普通に心を通わせたい・・・
単純にそれだけの事でさえ、発達障害児には難しいことです。
軽度発達障害児と言われる、知的な面での障害がない子ども・・・
少しの付き合い程度では、障害の面は気づかれない。
そう、ただ単に「しつけのなってない子」「わがままな子」「乱暴な子」「元気がありあまっている子」「がんこな子」・・・と思われるくらい・・・
診断を受け、子どものためにと、色々な支援を行う。
悩む、やってみる、また悩む、誰かに相談する、やってみる、また悩む、その合間に問題行動が顔を出す、また悩む、学ぶ、やってみる、悩む・・・
こういったことの繰り返しなのではないでしょうか・・・
定型発達児の子育てでも同じ事ですが、その中に「正解」はない。
どんな立派な本であっても、どんなにたくさんの人の意見であろうとも、わが子にとって、それが正解かどうかは、わからない・・・
ただ、ひたすら、わが子の事を思う、それだけで、良い、と思うことを行っていく・・・・
ひたすらひたすら、悩みながら・・・
私は、その悩みの中に常に虐待を意識しています。
虐待ってなんだろう・・・
私が良いと思ったことは、この子にとっては、良いことなんだろうか?
だから、過度に、子どもに対して無理強いが出来ずにいるのです。
子どもの心の輪郭を必死に捉えて、その心の叫びを聞こうとしてしまうのです。
オウム返しでない、本当の心・・・
私が子どもの頃には、絶対に人に喋る事のなかった心の部分・・・
(誰も聞こうともしてくれませんでしたが・・・)
親が良し、と決めた事が、子どもにとっていやでいやでたまらないことかもしれません。
これは恐い・・・・
受動型の子どもは、親の言う事に素直に従ってくれます。
これ、キケンな罠・・・
私はそう思うのです。
子どもの心を見つめ、感じ取り、それを検証して、悩み、真剣に子どもと対話をして、物事を決めていく・・・
我が家は今、そんなスタイルで物事を進めています。
それが、良いかどうかはわかりませんが、少なくとも、子ども自身も、親である私も納得が行くから・・・・
子どもに手をあげる。
子どもを無視してしまう。
声を荒げて怒ってしまう。
こういうことだけが虐待ではないと思うのです。
あまあまの母子密着だって、一歩間違えれば虐待だとも思います。
親が良かれと思って行っている、療育だってそのやり方次第では虐待にもなりかねません。
恐れていては何も出来ませんが・・・
ただ、親の思いよりももっともっと重きにおきたいのは、子どもの心。
うまく自分を伝える事が出来ない子どもだからこそ、丁寧に紐解きたい。
親として、自分自身の言動や行動で、子どもの心を傷つけたくはありませんから。
今回の話題は、自分自身への反省とこの過剰な心配性を少しでも緩和させる為に書かせていただきました。
先にも書きましたが、虐待という言葉は多くの方に不快な思いをさせる言葉であります。
ここまで読んでくださった方、お付き合いくださって本当にありがとうございます。
ぐるぐる回る、車輪のように、終点のない話だと思いますが、
また、次回もこの話について語りたいと思います。あと少し、よければお付き合い下さい。



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この記事へのコメント
必殺調理人
はるぼん
こんなに暗い記事にコメントいただけて、うるうる。ありがとうございます!
今ふと思ったのですが、男親と女親では子どもに対しての姿勢が違っているように感じます。母子密着についてまた記事を書こうかと考えているのですが、この密着の形になり得ないのが男親・・・
密着の危険を感じているからこそ、男性的な視線思考の大切さを感じました。
よく、親になったら親の気持ちがわかる・・・などといいますが、私は親になったからこそ、自分の親の気持ちが更にわからなくなりました。虐待に過剰反応してしまうのもそのせいです。
母親は自分自身を子どもに投影しやすいのです。
「正解」はないかもしれませんが、それを摸索し続ける事が大切なんだと思います。
「ストレイト・ストーリー」すごく見たくなりました。デビット・リンチ監督の映画、ツイン・ピークスとか、ブルーベルベットとか大好きですごくはまった記憶があります(年齢がばれますね)。
本も読んでみたいな。
就学前の発達障害児たち・・きっと、希望に満ち満ちている年齢ですよね~(たとえ言葉とかが出ていなくても)また、お話聞かせてください。