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2016年02月12日

子どもの自立を考えるー発達障害を持つ子ども発達障害のない子ども。



自立について書いてみたいと思います。

親ならどうしても気になる子どもの自立。特に発達障害を持つ子の親はそこに焦点を合わせすぎてしまうことが多いのではと感じたからです。

また成人当事者の方々も、自立というものにこだわり縛られすぎている場合もあるかもしれません。

そのあたりを中心に重くならないようにわたしが思う自立について書いていきます。


目次
ながくなってしまったのでページ内リンクを貼っておきます
・自立ということば
・自立って何なんだろう?
・できることからはじめる自立
・さいごに


自立ということば




言葉の意味的としては

デジタル大辞泉の解説
じ‐りつ【自立】

[名](スル)他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」


大辞林 第三版の解説
じりつ【自立】

( 名 ) スル
@他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。ひとりだち。独立。 「親もとを離れて−する」
A自ら帝王の位に立つこと。 「其後−して呉王となる/中華若木詩抄」 → 自律(補説欄) ・ 独立(補説欄)

自立コトバンクより引用させていただきました


という意味なのですね。

ASDらしく字面通りに解釈してしまうと、

自立とは、経済的にもひとりで生活でき、身辺(生活面)も当然ひとりで何もかもでき、誰の助けも借りずに生きていける。


ということになります。

ちょっと考えればそんな人間どこにも存在しないことに気がつくのですが、子どものことで頭がいっぱいの親御さんや、自身の現状で精一杯の当事者としたら、この字面通りの自立に騙されてしまうと思うのです。

人として生活を営むには、どんなに孤独な人であっても誰の力も借りず一人で生きていくことは出来ないと思います。これは障害のある人だけのお話しではなく、健常者にも言えることです。
むしろ健常者のほうが、自然に人にたよって生きているのではと感じています。
まあ、中には山奥にこもって自給自足で孤独に生きている仙人みたいな人も存在するとは思いますが、この社会生活の中では、100%といってもいいくらい人間は何かにたよって生きています。
衣食住の基本を考えるだけでもご理解いただけるのではないでしょうか。



自立って何なんだろう?




自立に関して、いくつか気になった文章があったのでここにご紹介します。

さんにちEye山梨日日新聞電子版 2014年12月24日
「本当の自立とは何?」本田秀夫・信州大付属病院子どものこころ診療部 診療教授

*こちらのコラムから引用させていただきます

多くの親たちにとって、子育ての目標の一つが「自立」であることは、間違いない。
 発達や心の健康に何らかの問題があって受診してくる子どもたちの親から、「この子は将来自立できるのだろうか?」という質問をよく受ける。「自立とは何ですか?」と問うと、「誰の援助も受けず1人で生きていけるようになること」という答えが返ってくることが多い。ー中略ー
大事なことは、おのおのの個性や能力に応じて、自分でできることとできないことを判断する力を育てること、そして、できないことについて他の人に援助を求める力を育てることである。前者は「自律スキル」である。読み方は同じだが、何でも自分でやるという意味の「自立」とは異なり、「自分を知り、自分の個性や能力を上手に発揮する力」である。後者は、以前にこのコラムで取り上げたことがある「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)につながるソーシャルスキルである。


「自分を知り、自分の個性や能力を上手に発揮する力」
「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)につながるソーシャルスキル


この二つは発達障害を持つ子の保護者も発達障害当事者も自立へ続く力として理解しやすい想像しやすいものだと思います。

自分の得意なことと苦手なこと、自分の好きなことや打ち込めることと努力しても出来ないこと無理してもやり遂げれないこと。これらは発達検査・知能検査の詳細や、経験をつむことで自分でもはっきりわかってくることです。(ただし、素直にならないと難しいですが)
「自分を知り、自分の個性や能力を上手に発揮する力」は幼児期からの本人を見守りつつ行う物事へのチャレンジとついつい気になってしまう苦手分野のあきらめがたいせつなのではと思います。

いっぽう、「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)につながるソーシャルスキルについては、人とのコミュニケーションが苦手な子が多い発達障害児にはある程度のトレーニングが必要となってくるでしょう。
これも幼児期からの療育などでつちかっていければよいのですが。

本田教授はこのことについても書いてくださっています。

 「ホウレンソウ」の力を育てていくには、幼少時の「駄々をこねる」行動を大事に育てていくことが重要であることは以前に述べた。一方、自律スキルを育てていくために大事なことは、得意なことや好きなことを思う存分できる環境を保障することである。得意なことや好きなことをやることで、自信と意欲を育てながら自分の力とその限界を判断する力も身についていく。苦手なことの克服ばかりを目指していても、自信と意欲は育たない。
 たとえ心身に病気や障害があっても、自分にできることは着実に行い、できないことは誰かに相談できれば、本人も周囲の人たちもストレスなく生活できる。


残念ながら「駄々をこねる」行動を大事に育てていくことが重要の記事は現在残されていないようでご紹介することができません。
ない頭で想像してみるならば、「駄々をこねる」という行為そのものの持つ「自我」「自分がやりたいこと」の表現としてうけ止め、成長に合わせて単なる「駄々をこねる」からなんらかな形で「自分の思いを相手に伝える」という方法に発展させて、「ホウレンソウ」へと導いていく、ということではないかと思います。

幼児期からの得意や好きなことを経験させて、自己肯定感を育てる。
そしてその中から大切なスキルを覚えていく。
重要なことはこの二つに集約されるのではないでしょうか。

この二つは発達障害の子どもだけじゃなく、ふつうと呼ばれる子どもたちの自立にも大いに役立つような気がします。

もう一記事、こちらも主に障害者の自立から話を広げて書かれています。

NHK解説委員室 2015年12月10日 (木)
 視点・論点「"自立"について」社会活動家 湯浅 誠

*こちらのコラムから引用させていただきます

ご自身が障害者で、東京大学先端研究所の専任講師でもある熊谷晋一郎さんは「自立とは依存である」と言います。どういう意味でしょうか。熊谷さんは、東日本大震災の際のご自身の経験をもとにこのことを説明されています。ー中略ー
のご自身の体験を「自立」という概念と結びつけて語ります。自分にとって階下に降りる手段はエレベーターしかない。それゆえ、エレベーターが止まってしまうと降りられない。それはエレベーターに強く依存しているという状態だ、と。他方、健常者はエレベーターはもちろんですが、階段でも避難ハシゴでも降りることができる。それは階下に降りるにあたって頼れる手段がたくさんある、拠れる先がたくさんある、依存先がたくさんあるということだ。エレベーターがダメなら階段、階段もダメなら避難ハシゴと、つまり依存先のたくさんある人が、特定の依存先に強く依存することがなくなり、そこに拠って立つこと、それに支配される、自らを委ねる必要がなくなる。だから「自立とは依存なのだ」と、彼は言います。より正確には「自立とは依存先の分散なのだ」と言うわけです。


目からうろこ、いえコンタクトがが落ちるかと思いました。
「依存」というものは「自立」に最も遠い存在であると思い込んでいたからです。「依存」しないことがよいこと。「依存」することが悪いこと。そういう図式が出来上がっていました。
言葉の遊びですが、「依存」ではなく「共生」「助け合い」「支援」あるいは「道具」と言いかえるならこれほど驚かずにすんだと思います。ここであえて「依存」という言葉を選んだ、熊谷晋一郎さんのセンスがすばらしい。

「支援」であれ「共生」であれ、障害を持つものとしてはどうしても一方的なものを感じとってしまいます。「自分だけが助けられている」というような感覚。これでは自己肯定感は保てません。
ですが、「依存」という言葉ならば、自然に納得がいきます。人間誰だって何かに「依存」して生きている。
そう考えることで己の依存先を一点に集中させるのではなく出来るだけ分散させるように自分の頭で創意工夫をしていくことが出来るから。

「依存先の分散」障害者も健常者も(あえて意識はしないかもしれませんが)このことを意識して生きていければ、それは自然と自立への道となる。

引用させていただいたあとの文章も、自立というものを重く考えがちなひとりとして感謝の気持ちがあふれ出るくらい自分の中の何かが変化したように思います。本気で感謝せねばなりません。

最後にもう少しだけ引用させていただきます。
 「自立」は肩ひじ張って自分に閉じこもることではなく、他者に開かれています。自立しているイスや三脚も大地に支えられ、大地に依存しているわけです。強すぎる「自立」幻想は、かえって他のもろもろに支えられている自分のあり方を見えなくさせ、自分やそして周囲をも生きづらくさせる。そしてこれは、一個人にとどまらず、地域の自立にも、国家の自立にも通じることではないか。私はそんなふうに考えます。

いかがですか?短い文章ですのでぜひリンク先の前文を読んでいただきたければと思います。


東京都人権啓発センター TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行)インタビュー
自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと 
熊谷晋一郎さん小児科医/東京大学先端科学技術研究センター・特任講師

*こちらは、熊谷さんへのインタビュー記事です。少し長いですが自立についてその先まで、語られています。



わたしの中では、ご紹介したこの二つのweb記事で「自立」というものが形として見えるようになりました。
もちろん、この考え方に反発される方もいらっしゃると思います。
ですが発達障害を持つ当事者として、発達障害を持つ子どもの親として、「自立」というそびえ立つような大きな壁だったものが、ちょっとがんばれば越えられる壁へとさま変わりしました。

湯浅誠さんの言葉にあるように「肩肘張って」ではなく、本田教授の「自分を知り、自分の個性や能力を上手に発揮する力」をしっかりと育て、つちかったスキルを生かして、肩の力を抜いて、自分の周りのものや人に「依存」しながら生きていくことが「自立」なのではないかと。
少なくともそう考えることで精神的に病むことからは遠のくのではないでしょうか。



できることからはじめる自立



それでは、具体的に「自立」に向けてどうすればよいのか、何とか自分の考えをまとめました。

ASDの息子を持つ母親であるということと、自身もASDという発達障害者なうえ、二次障害として精神疾患を持っているものであり、「ふつう」の枠からはみ出している「マイノリティ」だという自覚はあります。
ですからこのわたしの思う「自立」への思いは理解していただくのは難しいかもしれません。
頭っから「マジョリティ」の思考方法がわかっていないからです。
わかりづらいと思いますが、もう少しお付き合いくださるとうれしいです。


自分で選択→決断できる
自分で実行→責任を持つ
そのために
自分で助けを求められる


これは、過去数あるセミナーや勉強会で教えていただいた「発達障害を持つ子の自立像」です。

福祉的には、

身辺自立
経済的自立
生活(社会的)自立


と教えていただいたこともあります。

「身辺自立」については、知的に重くなければ幼児期からの経験で、時間はかかるでしょうが何とかなるような気がします。
過度の過敏やこだわり、不注意、といった問題もあるでしょうが、就学前は保護者との家庭という小さな社会の中でのルールを学び、個々にある問題をひとつひとつ解決していくことが必要でしょう。
それは、ものの助けだったり、方法の変化だったり、構造的な工夫だったり。
家庭の中や療育などによって自己肯定感とともにつちかっていきます。

就学すると、今までとは違った世界に飛び込むことになります。
家ではできていることも学校ではできない。何てことも出てくると思います。
もちろんいきなりではなく、色々なものを使って、子どもの心の準備をしていても、思いもよらぬところで落とし穴があったりします。

そこで、自分で選択→決断できる癖を小さなうちからつけていくことが大切になると思います。
幼児の頃や就学しても受動型の子どもですと、なかなか自分の意思を言葉にしてあらわせない。
言葉とは別の表現方法になってしまう。これがいわゆる問題行動であったり、自傷行為であったりすることが想像できます。

幼児のうちから、親がものを選んで与えるのではなく、二者択一でもいいから、子ども自身に選ばせるということを、何かにつれやっていくこと。これが思いのほか成長に役立つと思います。
自分で選ぶという癖をつけそこから自分の思いを言葉にするというところまで成長できれば、あとは自分にできないことを手助けしてもらうこともできるようになる。それもいつも決まった人ではなく(たとえば母親など)園の保育士さんや学校の先生、高学年のお兄さんお姉さんにも伝えることができるようになる。
これが出来るようになるだけで、子どもはぐぐんと成長するのではないでしょうか。

自立への第一歩ですね。



小さなうちは「経済的自立」など先の先というイメージですが、案外あっという間にその時はやってきます。
たとえ実際にその仕事で食べていくことが無理であろうことであっても、子どものうちに世の中にはいろいろな働き方やいろいろな仕事があるのだということを知らしていくことも大切だと感じています。

新 13歳のハローワーク -
新 13歳のハローワーク -

もし好きなことや得意なことが見つかっているのならば、それについて具体的にどんな仕事があるのか、家庭でも話し合ってみると霧に隠された未来に複数の道の絵を描くことができるかもしれません。

「どうせできないんだから、将来の話はできるだけしたくない」
という保護者の方もあるいは当事者であっても思うことや口に出してしまうことがあるかもしれません。

「働くこと」「経済的に自立」「納税者になる」ことだけに注目してしまったら、未来が狭まってしまいますし、それは親、保護者が決めた道となってしまうのではないでしょうか。

障害の種類や度合いによってできないこととできることが、よりハッキリしているので、そこは保護者や支援者の助けでどこまで将来の道をふやせるかが大切になってきます。それでも本人抜きの将来設計ではなく、なんらかな形で本人の意思を尊重した将来をいっしょに描くことができたら最高だと思います。

経済的自立を意識しすぎて、社会制度、福祉の助けを借りることを極端に恐れさせることはとても不幸なことだと思います。

自分で実行し責任を持つためには、どうしてもできないことや苦手なことは出てきます。その時に、ちゃんと助けを求められるように、「福祉」=「恥ずかしいこと」などといった間違ったことを覚えさせないように、家庭も教育者も支援者も注意してほしいなあと思います。
大人になった発達障害児の道が極端にに少なくなってしまうからです。


社会的自立も自己肯定感さえしっかりと出来上がっていたならば、そう難しいことではないと思います。
不得意な分野で助けを求めることができる、自分の好きなこと得意なことがなんらかな形でいかされる。
趣味活動としてでも自信を持って続けられるのならとてもよいことではないでしょうか。そこから、働く(お金をいただく)というかかわり以外の人間関係を結ぶこともできるでしょう。

生きて生活するのは何か楽しいことがないと、つらくつまらないものになりかねません。
いきいきと自立するためにも、子どものころから、いえ、子どものころこそ、得意を伸ばし、褒め、自己肯定感の土台を作っていくことが大切だと思います。

障害を持っているということは不幸でも何でもありません。ただ多くの人とは違う生き方をしなければならないということだけ。
それを他者が見てどう思うかは己には関係ありません。

自信を持って、自立の道を歩めればそれでいいのです。

自分で選ぶ
自分で決断する
自分で実行する
その結果は他者のせいではなく自分である
自分で決め自分で行った結果には自分で責任を取らねばならない
自分で思うことを実行するにあたり、自分の力だけではできないことはアウトソーシングする
他者やものに助けを求めること、これがきちんとできる
そして、何かを達成する
それはとても幸福なこと


何度も失敗するかもしれない。けれど自分で決めたのならその結果は自分。
次の道を進むか、同じ道をまた挑戦するか、それも本人が決めること。

親がそれに口を挟むと、それは子どもの自立を阻むものとなります。
現れた結果を、人のせいにしてしまいやすい(つまりは親のせい)

よくあるパターンですよね。

子どもの人生は子どものもの。

子どもの人生は応援するものであり、人生のレールを敷いていくものではない。
子どもの自立に関して一番先にできることはこのことじゃないかと思っています。


さいごに



我が家の息子の自立について少々。

自立を意識して子育てをしてきたわけではありませんが、いま思うと役立っていたなと思うことをあげていきます。


自分の食べるものは自分で選ぶ
多少時間はかかりますが、ファミレスやファーストフードならばわかりやすいメニューになっているので言葉で告げなくとも伝わりました
幼いうちは、お子様メニューなどから選んでもらえば、少ない選択肢から選ぶことができます

自分で着る服は自分で選ぶ
これも三点くらいから選ぶことからはじめ、年齢が上がるにつれ、購入する服も自分で選んでもらうようにしました
今ではネットショッピングです

プレゼントは自分で決める
クリスマスや誕生日にほしいものは、早めに決めてもらいました。これは逆に数点挙げてもらったものから、贈る側が選ぶというかたちがはじまりでした。

見たいDVDは自分で選ぶ
小さなうちは毎週のようにレンタルビデオ、DVDを借りてきていました。
借りたいものを必ず息子に確認してから借りていました。時には同じものを何度も何度も借りたりもしました。

食卓は息子がセットする
これはお手伝いの一環としてやってもらっていました。
成長するにしたがって、メニューを確認するだけでセッティングできるようになりました

おこづかい帳をつける
小学校からはじめたのですが、このおかげで買い物の予定を立てられるようになりました
小二から不登校でまともに勉強してこなかったので、計算力をつけるのにも役立ちました

好きなことは徹底してやらせる
時間などのルールは設けますが、お休みの日などは一日中やっていてもいいという自分で時間を自由に使えるということもやっていました。
おかげで好きなことがたくさんたくさんできました。

本人がたずねたことには正確に答える
ややこしい話など聞いてくることもありましたが、子ども扱いせずきちんと本当のことを伝えてきました。もちろん話せる範囲で。
嘘やごまかしは一切しませんでした(自分が苦手でできないということもありますが)

ありがとうとごめんね
子どもに言わせるのではなく、親からそのつど言ってきました。
我が家では他人行儀じゃないかと思うくらい、感謝の言葉と謝罪の言葉は自然とその場で出てきます。

家族会議
子どもを含めて、近い将来のことから家族内のルール変更や新しいルールについての話まで、必ず全員でしています。これは現在でも続いています。


これらが実際自立にどう繋がるかはわかりませんが、一時期は二次障害で人形のようになっていた息子も、ほんとうにゆっくりですが立ち直ることができました。
現在は自分の夢に向かって、凹んだり浮かれたりすることもありますが、何とかがんばって進んでいます。
親が手を出せることはほんとうに少なくなってきました。

このあと、自立について面白いコラムがありましたのでリンクを貼っておきます。
本当にいろいろな考え方がるのだなあと、楽しくなりました。


内田樹の研究室 2005年01月14日
自立とは何か


ほぼ日刊イトイ新聞 おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!
Lesson644
 「誰かのせいで何かができない」と言わない自立 山田ズーニー




児童心理増刊 発達障害のある子の自立に向けた支援 2013年 12月号 [雑誌] -
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最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。
すべての子どもたちがいきいきとした人生を歩めますように。
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posted by はるぼん at 12:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害の子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする